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2011年6月22日 (水)

都会のなかで華やかな豊穣祈願 住吉大社の「御田植神事(重要無形民俗文化財)」

 日本三大御田植祭といわれる住吉大社(大阪市住吉区)の「御田植神事」が、例年通り6月14日、古式にのっとり盛大に行われた。
 御田植神事は同社境内の御田で実際に早苗を植え付け、同時に御田の中央に設えた舞台や御田の周囲で舞や踊りなどを奉仕するもの。この日は梅雨の合間の好天も幸いして多くの参拝者が御田につめかけ、美しい萌黄色の装束をまとった植女(うえめ)にカメラを向けたり、普段は見る機会のない神田代舞(みとしろまい)や田植踊りなど数々の神事芸能に大きな拍手が送られた。
 住吉大社では年間を通して数多くの神事が行われているが、なかでも華やかで古式を多く遺しているのが御田植神事。香取神社(千葉県)や伊雑宮(三重県)と並び日本三大御田植祭といわれており、その起源は、摂政11年(211年)、神功皇后が住吉大社の鎮座に際して御供田として神田を定め、長門国(現在の山口県)から植女たちを召し、御田植奉仕をさせたことにはじまる。その後、植女の末裔が旧社領の堺乳守(ちもり)の遊女となり、御田植神事の奉仕を代々続けてきた。
 しかし明治維新によって乳守遊廓の存続が難しくなり、植女の派遣も途絶。さらに御田を含む境内の土地の多くが民間に払い下げられたため、御田植神事は廃絶の危機に瀕してしまった。そこでこれを憂えた大阪新町廓が、御田を買い上げ住吉大社に寄進。以来、新町の芸妓が植女となった。昭和54年(1979)に国の重要無形民俗文化財に指定され、現在、財団法人上方文化芸能協会が新町花街の伝統を引き継ぎ奉仕している。また、御田植神事は植女をはじめ実際に田植えを行う替植女や舞や踊り、祭の手伝いなど総勢約500名が奉仕。大阪21世紀協会もまた、大阪の誇るべき伝統文化・神事芸能として保護・育成すべく支援している。
 この日植え付けられた早苗は10月17日の宝之市神事で刈初式を経て収穫され、初辰まいり(誕生祈願)など、住吉大社の年間130余の祭典や毎日のお供えなどに用いられる。


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「粉黛(ふんたい)の儀」
田植えに先立ち、神館にて白粉(おしろい)と黛(まゆずみ)、口紅を施される植女(うえめ・右)(一般非公開)。

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「宣状(せんじょう)の儀」
神館にて真弓宮司より神事への奉仕資格を受ける御稔女(みとしめ)役の藤間音花さん(右)(一般非公開)。音花さんはこの後、御田の舞台で雨乞祈願の舞「神田代舞(みとしろまい)」を奉納する。

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神館(国の登録文化財)

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萌黄色の装束に着替えた植女が、神前に備えられた早苗を授かる(第一本宮にて)。

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斎牛(さいぎゅう)による代掻きが行われるなか、植女たちが御田を一周練り歩く。農業が機械化された現代、牛による代掻き風景は極めて珍しい。

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植女から早苗を託された替植女(かえうえめ)が、八乙女による田舞(中央舞台)が行われるなか御田植えを行う。

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「棒打合戦」
雑兵に扮した子どもたちが、紅白両軍に分かれて樫の大尺棒を打ち合わせる。武者は稲田の大敵であるイナゴの災禍を払う象徴でもある。

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「田植踊」
替植女と同じ姿の早乙女が、住吉の農家に伝わる田植歌にあわせて踊る。

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「住吉踊」
地元の少女たち総勢150人が踊りながら御田を一周する。かつて神宮寺(明治維新で廃絶)の社僧がこれを踊って全国を勧進行脚したと伝わる。

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御田植えの後、御田一面に植え付けられた早苗が初夏の風になびく。住吉大社の御田は約2反(700坪)で、約20俵(1,200kg)の米が収穫できる。品種は「ヒノヒカリ(コシヒカリと黄金晴の交配種)」で、無農薬・合鴨農法で栽培されている。


■住吉大社アクセス
南海本線「住吉大社駅」徒歩3分、阪堺電気軌道阪堺線「住吉鳥居前駅」すぐ
(大阪市住吉区住吉2-9-89)

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