大阪ブランド情報局

土佐堀川沿いに川床をオープン

山西輝和さん

 大阪・中之島の夕映えは詩情を誘う。「それも、夏場が最高」と話すのは、土佐堀川南岸に川床「北浜テラス」を開設している「そば切り てる坊」の店主、山西輝和さん(56)。「川向こうのビルの縦のラインから現れた夕日が大阪市中央公会堂の奥に見える市役所の屋根に沈んで行く――。10分ほどすると、夕焼けが川面に広がって一帯があかね色に染まるんです」。
 川床はいす6席分の丸テーブル1つ、約18平方メートルのこじんまりした広さだが、水辺の景観を楽しみながら味わうそばは格別だ。
 川床は、近くのイタリア料理「OUI」、魚料理店「十六夜北浜店」とともに、去年秋に実験的に開設が認められた。今年は5月から約3カ月開いたあと、「てる坊」「十六夜」の2店は8月下旬から常設店となる。

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 北浜界わいには、江戸末期から明治にかけて料理旅館が軒を連ねていたという。山西家もその1軒だった。今は、ほとんどのビルが川に背を向けているが、「当時は、旦那衆が川から船で店に出入りしていたようだ」。その様子が写ったセピア色の写真が山西家に残っている。
 実は、山西さんが川床を初めて試みたのは、「てる坊」を開店してちょうど1年後の05年夏。換気扇の修理用に作った鉄パイプの足場を川べりまでせり出して桟敷を作った。天神祭の日に開いた、母校・信州大のラグビー部OB会は盛況だった。
 山西さんの試行は、川床の実現に同じ思い寄せていた市民団体などの目にとまる。「水辺のまち再生プロジェクト」、「もうひとつの旅クラブ」の2つのNPO法人と、「omp(大阪まちプロデュース)川床研究会」の3グループ。一緒に運動を展開するようになり、去年の社会実験につながっていく。
 山西さんは元建築設備会社の技術者。自社ビルの1階を活用しようと7年前、25年勤めた会社を退社して料理専門学校へ。「包丁で手を何回も切りながら」1年間通って調理師免許を取得。さらに、大阪市内のそば屋で1年間修行。ケアマネージャーだった桂子夫人の協力を得て開店にこぎつけた。店名の「てる坊」は幼少のころからの愛称。「ほっこりできるようなそば屋」を目指す。川床運動に取り組んでいるうち、「NPOの若い人たちの熱気に押されるようになった。先祖から与えられた財産を生かさない手はないと」。
 7月末、近隣のビルオーナー、地域住民、NPOらが会員となって「北浜水辺協議会」が発足、山西さんは理事長に就任した。川床の実践などを通じて水都大阪再生、北浜地域の活性化などに取り組む。山西さんは「ビルオーナーの協力を得ながら、川床を1軒でも増やしたい。芽はある」。

(文:七尾隆太 写真:ショーン・ケンジ・マドックス)

取材日:2009年7月3日
〔参考〕北浜テラス http://www.osakakawayuka.com/