大阪ブランド情報局

「四天王寺ワッソ」とともに

李 秀明さん

 17回目になる今年の「四天王寺ワッソ」は11月2日に開かれる。会場は大阪市中央区法円坂の難波宮跡。すでに舞姫・楽隊、巡行などへのボランティア参加者約1000人が決まり、チームごとに練習に励む。「ワッソは私のライフスタイル」と言ってはばからないNPO法人 大阪ワッソ文化交流協会事務局長補佐の李秀明さん(47)の動きもあわただしさを増してきた。

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 ワッソは韓国語で「来た」の意。会場辺りは古代、四天王寺とともに東アジアとの国際交流の舞台だったという。「四天王寺ワッソ」は耽羅、加耶、新羅、高句麗、百済などの国々から渡来した使節団と、出迎える日本人らの交流を再現した歴史絵巻である。
 近畿圏の在日コリアン約25万人の中心はいまや3世、4世。こうした若い世代に祖国の伝統文化や日韓の交流史を伝えられないか――こんな思いから、在日コリアン系の信用組合関西興銀が中心となって90年8月19日、ワッソは始まった。
 李さんは在日3世。近畿大3年の春休み、両親に勧められて母国訪問団に「しぶしぶ」参加した。初めての訪韓だった。ソウルから北東へ約100キロ、祖父の生家があった江原道揚口郡へ足を延ばした。叔父やいとこにあたる親類が幾人も集まってきた。このとき李さんは「自分の血を強く感じた」。大学を卒業して関西興銀に入り、6年後の89年には提携先の新韓銀行のソウル駐在員になった。2年間の滞在中、ワッソ開催に必要な古代衣装の調査、調達もまかされた。 
 ワッソは11年間続いた。ところが、頼みの関西興銀の経営が悪化して00年12月に破たん、ワッソどころではなくなった。当時秘書室長だった李さんは、その後も総務部次長として近畿圏の半数余りに及ぶ24店舗を閉鎖する担当を命じられた。同時に、苦労してそろえたワッソの衣装・道具約4千点の廃棄処分を担当する羽目に。
 処分期限の02年6月16日のわずか2週間前、三洋電機の井植敏会長(当時)から、「捨てるのは惜しい。再開できるまで一時、倉庫に預かりたい」との申し出があった。「地獄から天国に昇った感じだった」と李さん。 
 2年間の中断の後、関西経済界や在日韓国人らの間からワッソ復活を望む声が強まり、03年、NPO法人が設立されて再開に向けて動き出す。理事長には井植さんが就いた。事業内容に、国際交流・青少年育成事業もうたった。李さんも再びかかわるようになる。
 李さんは「継続は力なり」「不断の努力が大切」を信条にしている。「日韓の間には不幸な歴史もあったが、悠久の歴史もある。日韓交流に違和感がなくなり、大阪市民の祭りになるまでワッソはだれかが続けなければならない」
(文:七尾隆太 写真:仲田千穂)

取材日:2008年7月1日

[参考]
四天王寺ワッソ http://www.wasso.net/index.html