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2009年7月30日 (木)

杭全神社 平野郷夏まつり(7/11~7/14)

■神社について
平安の初期、征夷大将軍坂上田村麿の子広野麿が杭全荘を荘園として賜ってこの地に居を構え、その子当直が貞観四年(862年)に氏神としてスサノオノミコトを京都八坂神社から勧請し、祇園社を創建したのが杭全神社のはじまりとされる。現在は、3殿からなり、5柱(スサノオノミコト、イザナミノミコト、ハヤタマオノミコト、コトサカオノミコト、イザナギノミコト)が祭られている。

■夏祭りの由来
スサノオノミコト(牛頭天王)を御祭神とする祇園社の祭りである。神事は当然、創建時からあるが、夏祭りを確認できる最古の記録は、江戸中期宝永二年(1705年)である。地車は、当初、平野郷の各地域を開発した七名家により7基あったが、野堂地域が野堂東、南及び北の3地域に分かれ、現在の9基になった。

■感想
家内と結婚して平野へ移り住み十数年経つが、祭りの4日間のうち、2、3日目の地車の巡行、宮入は毎年見に行っていたが、1、4日目は神輿が何をするのかも知らないでいた。今回の取材により、宮司様のご説明でその謎が解けた。(私だけが知らないのかもしれないが・・・)
つまり、1日目にスサノオノミコトが天上から降りてこられて神輿に乗り(これを神遷という。)、4日目にスサノオノミコトがまた、天上にお帰りになるのである。2、3日目の地車はそれをお祝いする、一種のニギヤカシであるとのこと。つまり、1日目と4日目の神輿が本当の祭りなのである。
とは言っても、我々地元の人間にとって祭りの最大の楽しみは、3日目の「宮入り」である。9基の地車が以下のようなパフォーマンスを見せて、順次杭全神社の鳥居を潜って神社に入る。
・・・・赤い提灯に彩られた地車は、割れるように打ち鳴らされた鉦や太鼓の囃子とともに、杭全神社の鳥居に向かって猛烈な勢いで急発進したかと思うと、鳥居前で急停止し、「モドセー!モドセー!」の掛け声で後退する。これを何回か繰り返した後、最後に鳥居を潜って宮入が完了する。地車の屋根には若者数人が乗っており、そのまま進むと若者の頭が鳥居にぶつかってしまうが、ぶつかる直前に頭をヒョイと下げてかわすそのスリルが堪らない!(実際にぶつかって地車から落ちたのを見たような気がする。)

Modose_2 Ichimachi

また、その間に、いわゆる「マイマイ」という静のパフォーマンスがある。地車を取り囲んだ何十人もの若者(若い女性らが参加している地車もあり、華があって非常にヨイ。)による「マーイマイ!(廻せという意味?)」の掛け声と鉦と太鼓の囃子に乗って、若者が地車を傾けゆっくり回すのであるが、これが非常にカッコイイ!・・・この動と静のパフォーマンスにより、地車巡行の若者らと観客は一体となり、恍惚状態になってしまう。

Maimai Dokka

(PS)
若いごんねぎ様のご説明では、神輿の巡行は、御堂筋パレードに酷似しているらしい。(学生時代に「行列(数学ではない。)」を研究され、当協会にもヒアリングに来られたとのこと)。例えば、神輿巡行では露払いとして先頭に検非違使が立つが、御堂筋パレードでは警察の白バイが先頭に立つ等・・・。今回の取材の後、神道や古事記に興味が沸いてきて、ときどき書店で立ち読みしている。(まだ、買ってはいないが・・・)。

                             (ブランドコラボセンター 藤本忠彦)

◇開催日◇
 毎年7月11日~14日

◇開催場所◇
 杭全神社
 大阪市平野区平野宮町2丁目1番67号

◇2009年度スケジュール
7月11日神輿足洗い、太鼓代足洗い
7月12日地車町内曳航、九町合同曳航(南港通り)
7月13日地車平野郷内、町内曳航・宮入
7月14日太鼓台巡行・神輿お渡り渡御

◇交通アクセス◇
  JR大和路線平野駅から徒歩5分

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