海老江八坂神社
◇神社について◇
建立の時期は定かでないが、境内に天治(1125年頃)とも大治(1130年頃)とも読める灯籠があり、また、村の旧記に永徳三年(1383年)霜月社殿再建と書かれており、歴史ある神社であることが推察される。
承応元年(1652年)には、氏子の先覚、道意翁が尼崎新田(道意新田)を開拓し、氏神として本神社の御分霊を奉遷し祀った(現道意神社)と伝えられており、御分霊を遷座する行列の様子が描かれた絵馬が今も尼崎の道意神社には保存されている。
また、本神社には、元亀元年(1570年)織田信長が野田城の三好一党を攻撃の時、戦勝を祈念して奉納したという太刀が残っている。
祭神は素盞嗚命(すさのお)。
(*本神社が八坂神社を称するようになったのは、明治時代の神仏分離令以降のことであり、以前は牛頭天王社と呼ばれていた。)
◇夏祭りの由来◇
海老江八坂神社に残る、夏祭りの最も古い資料は享保(1716年~)の神社明細帳に記録で残っている。徳川八代将軍吉宗の時代は、各地で祭りが奨励されたこと、また享保から幕末にかけて飢饉・疫病が起こり、病退散を祈念して海老江でも夏祭りが盛んになった。
◇感 想◇
7月18日、日中30度を超える真夏日のなか、阪神野田駅のバスターミナルから海老江八坂神社へと続く通りを地車のパレードが行われた。パレードは、「オッサ、オッサ!」という威勢のよい掛け声の中、北之町(白色)の枕太鼓を先頭に、西之町(水色)、東之町(黄色)、南之町(ピンク色)の地車がゆっくりと巡行する。枕太鼓は露払いを務め、続く地車は、土地をお払いする役割を持つ。地車の順番は、かつては、神社がある南之町が毎年最初に宮入
りしていたが、今ではローテーション。
通りの幅は狭く、地車の曳き子や沿道の人たちで溢れかえり、地車は今にも頭上に張り巡らされている電線に届きそうだ。地車の上では、炎天下にもかかわらず、2人の屋根方が囃子に合わせて元気に踊り、その生き生きした表情がとても印象的であった。周囲の観客からは、動く地車の上で逆立ちをするなど勇壮なパフォーマンスに拍手と歓声が沸き起こっていた。
屋根方の由来を聞くと、屋根方ができたのは、実は電柱、電線
ができてからのことで、地車が通りに面した家の軒先を削ったり、電線を引っ掛けたりするようになってから、屋根方を乗せるようになったという。
囃子や踊りは、夏祭りの時だけではなく、年間を通じて練習をしているそうだ。囃子の回しは、かつて12種類ほどあったが、継承の過程で徐々に減り、現在では6~7種類だけが使われている。回しの名称は、水の都大阪らしく、いずれも橋の名前がつけられている。
この日は、日中のパレード終了後、夜に宮入り。神社へ続く通りには、昔ながらの金魚すくいやスーパーボールすくい、リンゴ飴、たこ焼きなどの夜店が軒を連ねる。
暗くなる頃には、パレード一行はすでに宮入りしており、境内は中に入ることができないほどの人だかりになっていた。囃子は、昼間よりもさらに賑やかさを増し、大勢の人に担ぎ上げられて大きく揺れる地車の上では屋根方が振り落とされそうになりながら、派手なパフォーマンスを繰り返し披露していた。周りの観客もすっかり熱気を帯びて興奮気味。ひとしきり盛り上がった頃、漸く祭は山場を迎えて、最後に盛大に金銀の紙吹雪が打ち上げられて終了となった。
祭りが終わって潮が引くように人が散っていく中で、今回、最も印象深く思い返されたのは、祭りに参加していた人たちのパワーや、若者たちの真剣な表情である。また、老若男女を問わず、地元の大勢の人が参加しており、都会では失われつつある地域の人々の繋がりを祭りが育む貴重な機会になっているということを改めて実感した。普段、すっかり現代化した生活の中で暮らしていても、世代を超えて、今なお、こうして息づいている地域の祭りを、今後も大切にしていきたいものである。
(夜の宮入の写真は平成9年。神社提供。)
◇開 催 日 ◇ 7月17日~18日
◇開催場所◇
神社境内 福島区海老江六丁目4番地2号
巡行 阪神野田駅バスターミナルから海老江八坂神社まで
◇2010年度夏祭りスケジュール◇
7月17日 【宵宮】 子ども神輿 宮入 17:40~17:50
少年の部 囃子競演 18:00~18:40
パレード 18:50~20:30
7月18日 【本宮】 パレード 15:30~16:00
(宮入) 20:00~20:30(北之町)
20:30~21:00(西之町)
21:00~21:30(東之町)
21:30~22:00(南之町)
◇交通アクセス◇
JR東西線「海老江駅」より徒歩8分
阪神電車「野田駅」より徒歩10分
地下鉄「野田駅」より徒歩10分
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