大阪夏祭り

2010年10月14日 (木)

玉造稲荷神社 夏祭り

◇玉造稲荷神社について◇

玉造稲荷神社は垂仁天皇18年、紀元前12年創建の

非常に長い歴史を持つ神社である。

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当社の名前にある「玉造」は地名に由来するが、

この地が古代、勾玉を作っていた地であることを示す。

当社が鎮座する場所は、大阪城の南、300mほど。

JRまたは地下鉄の「森ノ宮駅」と「玉造駅」の間となるが、

このあたりから天王寺までの一帯は上町台地と呼ばれる古代大阪、古代日本のルーツの地である。

同社は大坂の陣や第2次世界大戦など幾多の戦災・火災に合いながら、

氏子・崇敬者の手でその都度再建されてきた。

現在の社殿は戦後昭和29年に竣工したものである。

特段の観光地でもないうえに、社殿は戦後の再建であるから、観光目的でここを訪れる人は少ないかもしれない。

住宅やマンションの多い静かな街並み中にひっそりとたたずむ、緑のオアシスといった風情である。

しかし、当社は一般の方には知られていないが、みどころの多数ある神社でもある。

境内には勾玉の資料館「難波・玉造資料館」や

豊臣秀頼と淀君を結ぶ胞衣(えな/よな)を祀る胞衣塚、

千利休や、漫才の父・秋田實の顕彰碑、

現代のお伊勢参りともいえる伊勢迄歩講起点碑、

また、かつての水都大阪の繁栄をしのばせる猫間川川浚碑などなど。

時代も内容も様々で歴史好きならずとも興味がつきない。

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◇夏祭りの風景◇

本年の夏祭りは7月15日、16日開催された。主な内容は

7月15日 【祭だ!ワッショイ!こどもみこしを引こう!】

      【なにわの伝統野菜・玉造黒門しろうり食味祭】 、 

7月16日 【秋田實奉納演芸】 小獅子踊り、福引

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観光客向けの派手な演出はないが、

夜店が開くころともなると、

思いのほか、広々とした境内が

祭りを楽しむ人であふれんばかりになる。

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夏休みの最初の時期というのもあるのだろう、

子供たちが多く集まっているのが印象的だ。

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氏子や地元の人々に根付いた祭りであるが、

【なにわの伝統野菜・玉造黒門しろうり食味祭】

【秋田實奉納演芸】には当社の歴史・文化に対する姿勢が感じられる。

それは、地域の歴史を尊重し、幾多の戦災で失われた記憶を発掘し、

後世に伝えようという姿勢である。

◇なにわの伝統野菜・玉造黒門しろうり食味祭◇

この催しは、なにわ伝統野菜として知られ

る黒門越瓜(しろうり)を

復活、保存、普及する活動として

2002年から保存会である

「玉造黒門越瓜出隊」(たまつくりくろもんしろうりだしたい)

によって行われている行事である。

黒門越瓜とはこの玉造に産する越瓜(しろうり)のこと。

その名は、大阪城の玉造門が黒塗りであったことに

「しろうり」の白を対比させたという粋な由来をもつ。

特に良質な瓜ゆえに、江戸時代には浪花名産の一つに数えられたが、

明治以降は、この地域も市街化し、瓜を栽培する人も減り、

やがて忘れ去られてしまったという。

同社の禰宜をつとめる鈴木伸廣氏は、

地域の歴史を調べるうちに黒門越瓜のことを知り、

専門家の協力を得て2002年に復活栽培するにいたった。

食味祭では、神社の境内の南側に設けられた畑で収穫された黒門越瓜が、

毎年工夫をこらした調理法で振舞われ、この夏祭りならではの楽しみとなっている。

このほか、キャラクターの「くろもんちゃん」も登場してにぎやかにこの伝統野菜をPRする。

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◇秋田實奉納演芸◇

秋田實奉納演芸は夏祭宵宮に開催される市民寄席、

上方笑いの父・秋田實を偲ぶ奉納演芸である。

秋田實は、この玉造稲荷神社近くに生まれ、

戦前はエンタツ・アチャコに台本を提供しその魅力を引き出し、

戦後は荒廃した漫才界を復興するために若手の育成に努めた

「漫才の父」と称される人物である。

昭和52年に秋田實は亡くなるが、

その功績を記念して「笑魂碑」が翌53年に同社の境内に建立された。

そして、奉納演芸もこの年から開催されるようになった。

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以来、秋田實の遺徳を知る芸人さんや若手の芸人さんが舞台にたち

市民に笑いを届けている。

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この玉造稲荷神社は、江戸時代には幕府から許しを得て

上方演芸を実施した場所でもある。

「秋田實奉納演芸」は、大衆文化発祥の地である歴史を

今に伝える催しということもできる。

◇歴史を語り伝える祭り◇

当社のパンフレットには

「当神社は近世、大阪夏の陣や第二次世界大戦の戦禍によりことごとく文化財を焼失しました」とある。

戦火によって、貴重な歴史的資産が灰燼に帰した結果、

2000年以上の歴史があるにもかかわらず、

それを目にみせて示すことができない。

歴史が豊富であればあるほど、

その歯がゆさはひとしおではないかと想像する。

しかし、当社では、前向きに精力的に、埋もれた歴史を発掘し、

地域の人々に披露し、そしてそれを後世に伝えようと取り組んでおられる。

その結果が、この見どころの多い神社となり、今の夏祭りとなっている。

歴史を知ることは、地域が誇りを取り戻し、地域の絆を強くすることにつながる。

これは現代の神社にとって重要な使命の一つであると、同社の宮司鈴木一男さんはいう。

それは、長い歴史やそれに培われた文化を持ちながら、

まだまだ市民・府民に伝わらない大阪全体に必要な考え方といえる。

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日 時 :宵宮 7月15日(木)

      本宮 7月16日(金)

所在地:〒540-0004 大阪市中央区玉造2丁目3番8号

     地下鉄 玉造駅

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2010年9月22日 (水)

難波八阪神社(7/12、13、14)

◇ 神社について◇

 難波八阪神社は古くは難波下の宮と呼ばれ、創建は定かではないが、後三条天皇の御代延久の頃には既に祇園牛頭天王(ぎおんごずてんのう)を勧請する古社として世に聞こえていた。

 もとは神仏混交であったが、明治5年(1872年)の神仏分離により、郷社となった。当社の祭神、素戔鳴尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治された故事に基づき始められたという綱曳神事は、「摂津名所図絵」や「摂津名所図会大成」にも紹介されており、平成13年(2001年)、大阪市で初めての無形民俗文化財に指定された。

 現在の社殿は、昭和49年(1974年)5月に改築され、絵馬殿は大きな獅子頭をかたどるユニークなものである。(高12m、幅11m、奥行10m)

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<ご祭神>

 素戔鳴尊(すさのおのみこと)、
 奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
 八柱御子命(やはしらみこのみこと)

<摂社・末社>

 篠山神社(地元の代官・篠山十兵衛景義が祭られている。)
 稲荷神社
 三宝荒神社
 市杵島姫神社
 皇大神社

◇夏祭りの由来◇

 江戸時代には、道頓堀川船渡御は、大阪天満宮の天神祭と並び盛大に行われていたと伝わっているが、江戸時代中期以降に一旦途絶え、21世紀になって(2001年)、平成氏子や地元企業の支援により230年ぶりに復活した。

◇感想◇

<社殿>

 境内に入ると、まず圧倒されるのが、獅子頭をかたどった絵馬殿です。グワッと開いた口の中が舞台になっていて、祭りにはここで獅子舞などが催されます。宮司様に聞いてみると、「以前は、祭りのたびに仮設の舞台を作り、祭りが終われば取り壊していたので、それでは非効率ということで、常設の獅子舞用の社殿を造った。」との答えでした。
近くの子供らは、「親の言うこと聞かんかったら、噛んでもらうでえ」と、脅されてるんでしょうね。

<船渡御>

 道頓堀の船渡御を見てきましたが、それは見事!なものでした。以下、見学記です。
戎橋から階段で「とんぼりリバーウォーク」に降りると、2隻のどんどこ船(手こぎの船)が、すでに太座衛門船着場の手前両岸に横付けされていました。

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 そこに、湊町から次々と船がやってきます。神事船は篝火(かがりび)船や雅楽船などが古式ゆかしく、一方、協賛船は派手なデコレーションに、芸人やジャズダンスのギャルを乗せて、いかにもミナミらしいノリでやってきます。「あるとき~ないとき~」のブタ饅屋さんや、新世界の串カツ屋さんなど。

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そして、どんどこ船の前で、「大阪締め」が行われます。
「打ーちまひょっ」パンパン!「もひとつせっ」 パンパン!「祝うて三度っ」パンパパンパン!どんどこ船の鐘に合わせて、どんどこ船の若集、観光客も含めて一斉に手拍子が道頓堀にこだまする、その一体感が素晴らしい!あんまり気持ちいいので、最後の舟が来るまで、10回以上大阪締めに参加しました。

8_3  「とんぼりリバーウォーク」ができたお陰で、船と観客との距離が非常に近くなり、漆黒の闇のなかで、道頓堀のネオン、船、それをとりまく観客との空間が、まるで劇場の中にいるようでした。

◇開催日◇

 7月12、13、14日

◇開催場所◇

<宵々宮、宵宮、本宮>

 12、13、14日   難波八阪神社境内

<船渡御>

 12日 (午前中)     道頓堀川(戎橋~太左衛門橋)
     (18時~21時) 道頓堀川(戎橋~太左衛門橋)

<陸渡御>

 13日  千日前~道頓堀~戎橋筋 
 14日  堀江周辺   

◇2010年度スケジュール◇

 12日  宵々宮 船渡御・
 13日  宵宮
 14日  本宮 陸渡御

◇交通アクセス◇

 地下鉄御堂筋線なんば駅(5番出口) 西へ直進10分
 地下鉄四つ橋線大国町駅(32番出口) 南へ直進5分

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三光神社(7/19,22,23)

◇神社について◇

5_4   大阪城東南の丘陵(上町台)真田山に鎮座し、昔は姫山神社、今は三光神社と称されている。 創建は、第十八代反正天皇の御宇と言い伝えられ、武川氏(武内宿弥の末裔)が神職として奉仕され、今に至ると言われる。

 当神社は古来より日本全国で唯一の中風(脳梗塞)除の神として広く知られ、毎年、6月1日~7日まで中風除け祈願大祭(茅の輪くぐりの神事)が執り行われる。

 また、境内は桜の名所として知られ、毎年4月上旬は桜見物で賑わう。 各社殿を初め建物一切は、昭和20年6月1日に全焼したが、戦後、氏子崇敬者により、4期にわたって、本殿、社務所、大鳥居などが復興された。

<ご祭神>

 天照大神、月読尊(つくよみのみこと)、素戔鳴尊(すさのおのみこと)

<末 社>

仁徳天皇社

武内宿弥社

 武内宿弥は、景行天皇から仁徳天皇までの五朝(244年間!)にわたって大臣を歴任し、長寿の人ということで、七福神の寿老神<写真8>と同一視され、祀られている。

野見宿弥社

 野見宿弥は、麻邑蹶速(たいまのけはや)という輩を一撃で破ったという、角力の神様で、また、当時高貴な方がなくなるとその近臣も共に埋める風習を、土人形を造り人間の代わりにすることを考案された。(埴輪の起こり)。

稲荷社

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 享和3年(1803年)に「今年七福神巡拝発起」とあり、その4番が、寿老神眞田山いなり社(現三光神社)であった。その後途絶え、大正3年に「浪速七福会」が復興し、その後、大阪七福神社寺会」により現在に至る。

<境内地の名所>

片柱の鳥居 9_2

 太平洋戦争の大阪大空襲により、大鳥居が破壊され、その片柱のみをとどめた。戦後この鳥居の復興に際して、平和を祈願し、この片柱を後世に残すこととした。この片柱には、大相撲の関取の名前(陣幕久五郎、不知火など)が刻まれている。

真田の抜け穴 

 大阪冬の陣の頃、真田幸村が大阪城からここに至るまでの地下道を設けたと言い伝えられている。

真田幸村の像 

 昭和62年に建立され、その台座には、長谷寺(真田家の菩提寺)より取り出した真田石が置かれている。

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◇夏祭りの由来など◇

<夏祭り>

 今年は、7月19日(祝)に子供神輿の巡行が執り行われた。
 小さな子供たちとその父母らが和気あいあいと子供神輿を引っ張っていく様は、真に微笑ましい。夏祭りは江戸時代中期には行なわれていたらしく、戦前までは氏子を中心により盛大に行なわれていたが、大阪大空襲により付近一帯が全焼し、戦後その担い手がいなくなってしまった。現在は、地域の自治会らが中心となって行なわれている。

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<感想、宮司のお話>

  三光神社およびその周辺には、片柱の鳥居、旧陸軍墓地、真田の抜け穴など、数々の戦争遺跡がある。更に宮司から戦争時のお話も聞かせていただき、戦争について深く考えさせられた。以下、宮司から聞かせていただいたお話です。 

 「戦前は、当神社において、小学生による教育勅語の斉唱が行なわれ、陸軍墓地の管理も任されていたが、戦争が終わって様相が一変した。B29の空襲で神社も氏子の家も全焼したので暫く疎開していたが、帰ってみると、焼け残った石灯篭なども全て、日本人!によって壊されていた。意外に、米兵は一人も神社にやって来なかった。」
 神社は、戦前は天皇制中心の体制に組み込まれていたが、戦後はGHQにより解体され、その地位が崩れてしまったらしい。米兵が来なかったのは、GHQが神社(神道)の影響を恐れたのか、それとも日本国の「神道」を尊重したのか?

 旧陸軍墓地については、資料によると、西南の役、日清・日露戦争、太平洋戦争で戦死(病死)した陸軍将兵の墓標が約4,800柱あり、遺骨安置所には約4万3,000体の遺骨が眠っているとのこと。将校・下士官クラスだけではなく、兵卒(二等兵など)、軍属の墓標や、ドイツ兵(第一次世界大戦)、清国兵(日清戦争)の墓標もあるのが、陸軍墓地として非常に珍しいらしい。「坂の上の雲」(司馬遼太郎)の舞台にもなっているらしく、近年は、片柱の鳥居も含めて、見学コースとして三光神社を訪れる人が多く、宮司も「復興時に壊れた鳥居を残しておいて良かった。」と仰っておられた。

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 また、真田の抜け穴については、「大阪城の周りは掘によって守られていたが、唯一南側にはなかった。そこで、大阪冬の陣の際、南側に空堀(今の空堀商店街?)を掘り、豊臣方はその北側に陣を構えた。空堀の南側に真田幸村が出城を構え、この抜け穴は、その連絡通路として使ったので、大阪城までは通じてなかった。」らしい。

◇開催日◇

 7月19、22、23日

◇開催場所◇

 宵宮、本宮   三光神社境内(大阪市天王寺区玉造本町14番90号)
 子供神輿巡行 三光神社周辺

◇2010年度スケジュール◇

 7月19日(祝) 子供神輿巡行
 7月22日(木) 宵宮
 7月23日(金) 本宮

◇交通アクセス◇

 JR環状線 玉造駅 下車西南300m      
 地下鉄 玉造駅 下車南50m(2番出口)

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2010年9月13日 (月)

海老江八坂神社

◇神社について◇Cimg0848
 建立の時期は定かでないが、境内に天治(1125年頃)とも大治(1130年頃)とも読める灯籠があり、また、村の旧記に永徳三年(1383年)霜月社殿再建と書かれており、歴史ある神社であることが推察される。
 承応元年(1652年)には、氏子の先覚、道意翁が尼崎新田(道意新田)を開拓し、氏神として本神社の御分霊を奉遷し祀った(現道意神社)と伝えられており、御分霊を遷座する行列の様子が描かれた絵馬が今も尼崎の道意神社には保存されている。
 また、本神社には、元亀元年(1570年)織田信長が野田城の三好一党を攻撃の時、戦勝を祈念して奉納したという太刀が残っている。
 祭神は素盞嗚命(すさのお)。

(*本神社が八坂神社を称するようになったのは、明治時代の神仏分離令以降のことであり、以前は牛頭天王社と呼ばれていた。)
 

◇夏祭りの由来◇
 海老江八坂神社に残る、夏祭りの最も古い資料は享保(1716年~)の神社明細帳に記録で残っている。徳川八代将軍吉宗の時代は、各地で祭りが奨励されたこと、また享保から幕末にかけて飢饉・疫病が起こり、病退散を祈念して海老江でも夏祭りが盛んになった。

◇感 想◇Cimg0806
 7月18日、日中30度を超える真夏日のなか、阪神野田駅のバスターミナルから海老江八坂神社へと続く通りを地車のパレードが行われた。パレードは、「オッサ、オッサ!」という威勢のよい掛け声の中、北之町(白色)の枕太鼓を先頭に、西之町(水色)、東之町(黄色)、南之町(ピンク色)の地車がゆっくりと巡行する。枕太鼓は露払いを務め、続く地車は、土地をお払いする役割を持つ。地車の順番は、かつては、神社がある南之町が毎年最初に宮入Cimg0807りしていたが、今ではローテーション。
 通りの幅は狭く、地車の曳き子や沿道の人たちで溢れかえり、地車は今にも頭上に張り巡らされている電線に届きそうだ。地車の上では、炎天下にもかかわらず、2人の屋根方が囃子に合わせて元気に踊り、その生き生きした表情がとても印象的であった。周囲の観客からは、動く地車の上で逆立ちをするなど勇壮なパフォーマンスに拍手と歓声が沸き起こっていた。
 屋根方の由来を聞くと、屋根方ができたのは、実は電柱、電線Cimg0839ができてからのことで、地車が通りに面した家の軒先を削ったり、電線を引っ掛けたりするようになってから、屋根方を乗せるようになったという。
 囃子や踊りは、夏祭りの時だけではなく、年間を通じて練習をしているそうだ。囃子の回しは、かつて12種類ほどあったが、継承の過程で徐々に減り、現在では6~7種類だけが使われている。回しの名称は、水の都大阪らしく、いずれも橋の名前がつけられている。

Cimg0853 この日は、日中のパレード終了後、夜に宮入り。神社へ続く通りには、昔ながらの金魚すくいやスーパーボールすくい、リンゴ飴、たこ焼きなどの夜店が軒を連ねる。
 暗くなる頃には、パレード一行はすでに宮入りしており、境内は中に入ることができないほどの人だかりになっていた。囃子は、昼間よりもさらに賑やかさを増し、大勢の人に担ぎ上げられて大きく揺れる地車の上では屋根方が振り落とされそうになりながら、派手なパフォーマンスを繰り返し披露していた。周りの観客もすっかり熱気を帯びて興奮気味。ひとしきり盛り上がった頃、漸く祭は山場を迎えて、最後に盛大に金銀の紙吹雪が打ち上げられて終了となった。

 祭りが終わって潮が引くように人が散っていく中で、今回、最も印象深く思い返されたのは、祭りに参加していた人たちのパワーや、若者たちの真剣な表情である。また、老若男女を問わず、地元の大勢の人が参加しており、都会では失われつつある地域の人々の繋がりを祭りが育む貴重な機会になっているということを改めて実感した。普段、すっかり現代化した生活の中で暮らしていても、世代を超えて、今なお、こうして息づいている地域の祭りを、今後も大切にしていきたいものである。

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(夜の宮入の写真は平成9年。神社提供。)

◇開 催 日 ◇ 7月17日~18日

◇開催場所◇
  神社境内 福島区海老江六丁目4番地2号
  巡行    阪神野田駅バスターミナルから海老江八坂神社まで

◇2010年度夏祭りスケジュール◇
  7月17日 【宵宮】 子ども神輿 宮入       17:40~17:50
               少年の部   囃子競演   18:00~18:40
               パレード              18:50~20:30
  7月18日 【本宮】   パレード 15:30~16:00
         (宮入)             20:00~20:30(北之町)
                          20:30~21:00(西之町)
                          21:00~21:30(東之町)
                                           21:30~22:00(南之町)

◇交通アクセス◇
  JR東西線「海老江駅」より徒歩8分
  阪神電車「野田駅」より徒歩10分
  地下鉄「野田駅」より徒歩10分

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野田恵美須神社

◇神社について◇Cimg0890_3
 大阪湾が今よりもずっと奥深くはいり込んでいた頃、初めて野田の地に住みついた漁民の一団が、自分たちの信仰するエビスの大神を祀ったのが起源である。
 戦国時代には、大阪方面に勢力を伸ばそうとした織田信長に対抗した四国の豪族三好氏がここに城を築き、本神社は野田城の守護神として武士たちの信仰の対象となっていたと考えられている。
 祭神は、事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、八幡大神(はちまんおおかみ)。

◇夏祭りの由来◇
 夏季に起こりやすい流行病を退散させるために行われた。戦前には渡御式、俗に「お渡り」といわれる神事があった。神を奉戴した御鳳輦(ごほうれん)、御神輿(おみこし)を中心として、先導の太鼓以下、行列を整えて新家の御旅所に赴き、祭典を斎行した後、再び行列をして本社に還る、という儀式であった。現在では、太鼓、地車、鯛鉾が氏子区域を巡行する祭りとなっている。

◇感  想◇Cimg0906_6Cimg0877_9
 野田恵美須神社は、太鼓、地車、鯛鉾がそれぞれ別々のルートを巡行する。
昔、野田村は6つの町に分かれており、うち1町が太鼓を、1町が神輿 を、他の4町が地車を持っていたが、老朽化にともない大正の中頃から廃止された。昭和6年、これを復活しようと、当時の4台に代わって1台の大きな地車を作ったのが現在の地車だそうだ。
 地車には、富山県井波出身の彫刻師川原啓秀氏により、大阪夏の陣・冬の陣などの豊臣一代記をテーマにした彫刻が彫られている。屋根周りから柱巻きまで、一面に施された精巧な装飾には驚かされる。まさに動く美術品である。川原氏は、昭和6年~12年にかけて神戸・大阪地域の地車彫刻製作した彫刻師で、後に、日光東照宮薬師堂欄間「鳳凰」なども製作している。

Photo 今回、夏祭りをレポートするにあたり、初めて「獅噛(しかみ)」という言葉を学んだ。 「獅噛」とは、「鬼板」とも言われ、地車の屋根に施されている獅子の頭を模様化した彫刻のことである。よく見ると、どの地車にも、丹念に彫られた獅子が屋根にかじりついている。ここの地車に限らず、さまざまな表情の獅子が彫られているので一度見比べてほしい。

  この神社でもっとも注目すべきは、関西では唯一ここにしかない鯛鉾である。「えべっさん」と聞いて連想するのは、やはり尾頭付きの鯛。 大きな鯛をかたどった鉾が神社の境内に鎮Cimg0886_4座しており、周りには、青龍、朱雀、白虎、玄武の四神の旗が飾られていた。
 この地域には、国内外からの食材が集まる全国2位の卸売市場、大阪中央卸売市場本場があるほか、野田阪神本通商店街や新橋筋商店街など昔ながらの商店街が多くあり、地域の人々の生活に、商売繁盛祈願は欠かせない。真っ赤な大きな鯛は見るからにめでたく、来年は、巡行しているところを一度見てみたいものである。

◇開 催 日 ◇ 7月19日~20日

◇開催場所◇
  神社境内 大阪市福島区玉川4丁目1番1号
  巡行地域 大阪市福島区の玉川、野田、吉野、大開、新家

◇2010年度夏祭りスケジュール◇
  ■7月19日(祝) 宵宮祭 18:00
    地車 宮出 11:15   宮入 21:00 
    太皷 宮出 11:30   宮入 20:10 
  ■7月20日(火) 本宮祭 10:30
    鯛鉾 宮出 12:30   宮入 19:00
    太皷 宮出 13:00   宮入 20:30
    地車 宮出 13:30   宮入 19:50
    すずめ踊り奉納    19:20~19:40

◇交通アクセス◇
  大阪市営地下鉄千日前線「玉川駅」より徒歩5分
  JR大阪環状線「野田駅」より徒歩7分
  阪神電車「野田駅」より徒歩10分
  京阪電車「中之島駅」より徒歩10分

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2009年8月13日 (木)

夏の夏祭り、締めを飾る!~住吉祭(2)~

実は長い、住吉さんの夏祭り

 住吉さんといえば、7月31日、8月1日の2日間のイメージがありますが実はもっと早い7月第3月曜日の海の日からはじまります。<神輿洗い神事>というもので8月1日に大阪住吉区の住吉さんから、4kmはなれた堺まで神輿が渡御する前に神輿を洗い清める儀式。ちなみにその日の潮を浴びると病気も治るといわれていたんだそうです。実は長い住吉さんの祭りの締めくくりに行ってきました。

まるでタイムスリップ

 住吉さんの象徴・反橋(そりはし)通称太鼓橋を神輿が渡る姿をカメラにおさめようと永遠のカメラ青年たちが30人ほど待ち構える姿が。その後に船神輿が続きます。

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川を渡る 神輿渡御祭

 前頁の夏越祓神事の翌日は神輿渡御祭。昔は歩いて紀州街道を堺の頓宮(御旅所)まで巡行したんだそうです。(最近神輿渡御祭が復活したんだそうですが、)この見所は大和川を渡る神輿! 神輿をかついで渡るときいていたのでもっと狭い川なのかとおもいきや・・・ 広い!川幅も広いし雨量で深さもありそうな川をはさんで大阪側の衆、そして堺の衆。ギャラリーが見守る中、「ベーラ!」と神輿が担がれ川の中にザブザブはいっていくのです! 「ベーラ、ベーラ!」と結局20分ぐらい担いだ後、橋の上で祭礼が行われると今度は堺の衆がザブザブザブ!と勢いよくはいってくる。住吉側より深く、みんな胸まで水がつかってしまっている。大丈夫なのか・・・・。

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やはりこの日雨量が多くて川渡りは中止する予定だったそうです。川の深さは橋の上から見ると明らかに大阪側のほうが浅く、堺側が深かった。

よって「川渡りは中止」になる予定だたそうです。しかし「折角だから大阪側だけ入る」と大阪側がはいったことが堺の男衆に火をつけた様子・・・。                        Ssakaikaramo 「大阪側だけはいって堺側が入らないなんて!
中止にするか入るかどちらかだ!」となって入った模様。橋の上から見学していた私にも感じられるほどの殺気に似た?(堺側の)気合がひしひしと伝わってくる様でした。

それにしても、胸がつかるほど浸水しながら気合で神輿をはこんだ堺衆、そして大阪衆のどちらにも心から拍手を贈りたい気持ちになりました。ちなみにこの行事、戦後長く中断していたそうですが平成17年から45年ぶりに復活したんだそうです。日本の方だけでなく外国の方にもみていただきたいお祭りでした。ちなみに堺の頓宮に到着した後は荒和大祓という神事が行われますが残念ながら私はみることができませんでした。来年こそは!

(ブランドコラボセンター 松岡京子)

■開催日
  第3月曜日(海の日) 神輿洗神事
  30日        宵宮祭
  31日        夏越祓神事
  8月1日      神輿渡御祭

■開催場所
  住吉大社  大阪市住吉区住吉2-9-89

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2009年8月12日 (水)

大阪夏祭り、締めを飾る!~「住吉祭り」~ (7/30-8/1)

「すみよっさん」と親しみを込めて、呼ばれる住吉大社の夏祭り。すみよっさんは、全国の神社のなかでは、なかなかえらいさんですぅ。全国には、お稲荷さん、八幡さんなど数多くの神社がおまつりされている中、住吉神社は、全国に2000社以上も祀られており、それら住吉大社の総本山に当たるのが住吉大社。神様の位としてはもっとも高い「正一位」、摂津国の一宮はんであります。

  航海の神様を祀る住吉大社の本殿は神社建築様式のひとつ住吉造で、国宝!
神功皇后が住吉大神をおまつりになって建てられ、平成23年には御鎮座1800年を迎えられるとのこと。
その昔、住吉の地は、大阪湾が今よりも内陸に広がり、そこに上町大地が南に突き出た場所。仁徳天皇の時代には、住吉津がおかれ、のちに遣隋使が出発したという良港、住吉の地は海上交通の要所であったということから航海の神様なのですね、納得。

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■夏祭りルポ
生粋のなにわっ子にとって大阪夏祭りサーキットは、6月末の愛染さんにはじまり、いくたまはん、天神祭り、そしてこのすみよっさんでしめるのが、毎年の恒例行事ですねん。すっかりおばはんになってしまった私も、夏祭りへと花火へは娘気分でまいります(笑)。血が騒ぐ、行かずにはおられない!ということで、今年も、愛染さんにはじまり、生国魂(いくたま)はん、高津はん、ちょっと京都は祇園祭の宵宵山に顔をだし、天神祭りに、このすみよっさん。2009年大阪三大夏祭り、無事、制覇いたしました。
 南海電車・住吉大社前から参道には露店が軒を並べる。金魚すくいに生きゅうり、お面、、。

Taikobashi  Chinowa
すみよっさんの太鼓橋をわたり、鳥居正面に飾られている茅の輪をくぐる。夏祭り提灯が飾り付けられた境内へ。本殿横の恋みくじで、まずは運試し。浴衣姿のギャルにまじって「いやあ、吉やわ」。

Miko 社務所の巫女さんは、独特の髪かざり(ちなみに、住吉大社の巫女さんは、神楽女と呼ばれ、頭には鏡、松、白鷺が飾りつけられている)が誇らしげ。「重たくないの?」いつもながら、一言いわずにはおれない、、。
30日の宵宮では、午後5時約2000の献灯にいっせいに灯りが入り、400軒近い夜店が店開き。本日、31日の夏越祓神事。お祓いの起源は、イザナギの神が黄泉の国で受けた罪を祓うためという。大祭メインイベントは、午後5時から始まる神事。神官を先頭に夏越女、稚児の一行が巨大な茅の輪をくぐる。中世みやびの世界が出現だ。色鮮やかな上衣、たおやかな表情の化粧、鬘。一団のあとを一般参詣者も参加して、茅の輪くぐり、厄除け恒例行事で隣で見物していたおばちゃん団ご一行さまは、この茅の輪くぐりにやってきたという。引き続き、第一本宮で祭典。住吉踊りの奉納。傘踊の一種、中世まで住吉おどりの歴史はさかのぼる、延々と地元で継承されている。「いやほォー」の掛け声、体の軸が定まらないと転倒しそうなテンポアップな踊りだ。夏越女、稚児たちのみまもるなか、歴史絵巻が目前に繰り広げられる。ほんま、夏祭りはええななぁ。神事がおわれば、平野地車ばやしの蛇踊り。威勢よく、どんどん、踊り手の世界にひきこまれてゆく。やっぱええなぁ、夏祭り。

Gyoretsu Shinji

すみよっさんの境内を抜けると、芸の上達を祈願する神社がある。そうや、ついでにお参りしとこ。うん十年まえ、今は海の時空館の館長をされている石濱紅子さんが「すみよっさんの夏祭りがきて、初めて夏を実感します」と話されていたのを、久しぶりに、思い出した。すぐそばに、石濱邸。
Occhan 夏祭りの間は、境内の石守「五大力」石ひろいは禁止。願掛けに、境内には「五」「大」「力」とかかれた小石がある。この3石を根気よく探しているおっちゃん(禁止なのに、、)が、観光客とまちがえたのか、私に「あと‘力‘探したら3つそろうでぇ」と2個の小石をくれた。自分で探さな、意味ないやん?といいかけたが、おっちゃんの親切心をありがたく頂戴する。が根気つづかず、断念。

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ちなみに、恋みくじで、幸運のかぎは「言葉」と書かれていた。これ以上しゃべって、どうする、わたし、、。
                                                                      (ブランドコラボチーム 高橋英子)

■2009年度スケジュール
7月30日宵宮
7月31日 夏越祓神事                                                                                       8月1日 神輿渡御祭(船だんじりに神輿をのせたお渡り。約7キロ。
■交通アクセス
  住吉大社(大阪市住吉区住吉2-9-89)
 南海本線「住吉大社駅」徒歩3分、阪堺電気軌道阪堺線「住吉鳥居前駅」すぐ

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2009年8月11日 (火)

科長神社 夏祭(7/25-26)

科長神社は、別名:八社大明神(江戸時代)
祭神:級長津彦命・科長戸辺命・天照大神・速素盞鳴命・天児屋根命・武亹槌命・経津主命・建御名方命・誉田別命・日本武尊

本来十柱の神様を祭祀されています。
もとは、河内から大和方面に吹く抜ける風の谷間・二上山上にあって風の神である級長津彦命を祀っていた、河内と大和を結ぶ二上山の峠あたりの集落の安全を願い毎年例祭が行われる。また、八社とは八柱の神々を祭っていることで「八社大明神」呼ばれている。八社宮と書かれた石灯籠も寄進されている。

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各地区より船方に地車を曳いて、地域の安全と繁栄を願って社内にて曳きまわしが
行われている。狭い境内の中での船方の地車の5台が次々と曳き回しを始めだすと、人の波が圧倒されて、その場所だけは、違う空間になっている。

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 若者が暑い日差しを受けて、地車の上で「だんじり囃」にあわせて踊る姿は勇ましくて凛々しさを感じました。また、境内は森林に囲まれているので、本当に神を祀る踊りに見えました。来年は、夜の(月光と篝火)の中での曳き回しを見てみたいと思いました。
参考に 科長神社は、当地は神功皇后誕生の地という伝承もあり、社宝に神功皇后雛形の兜が奉納されているのは、一説に『式内社調査報告』では、「科長→磯長→息長と転じ、息長氏の出である神功皇后の誕生地伝説が生まれたのではないかと」記されています。

                               (ブランドコラボセンター安田侑加梨)

■開催日
例祭日:毎年7月24日~30日の間の日曜日(7月の第4日曜日)

■所在地

大阪府南河内郡太子町山田3773

■アクセス

近鉄長野線 貴志駅から循環バス御陵前下車 東に800m

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2009年8月10日 (月)

火と水の祭・天神祭 本宮(7月25日)

雨をも止める、天神祭りのパワー

7月25日は朝からすごい雨。天気予報によると近畿圏全体が、雨、雨、雨
13時30分から本宮祭がはじまり、15:30から陸渡御(りくとぎょ)が始まるけれど
14時の時点で本降りの雨。。。。

しかしなぜか、天気予報に反して14;30ぐらいに小ぶりになってきたのです。
「やはり天神祭パワーはすごい!!」と関心しつつ、天満宮へ。すると参道には
既にずら~りと人だかりが!大阪だけでなく観光客とおぼしき人もたくさん。さすがは
天神祭!

大勢の観客が見守る中始まった、陸渡御(りくとぎょ)はやはり圧巻。なんと約3000人の人が参加するそうで歴史絵巻のような光景が目の前に広がります。この陸渡御は大阪天満宮から大川までの約3キロを神様に年に1度氏地の平安をみていただくために行列をくんだのがはじまり。

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催太鼓から始まり、猿田彦、神鉾、地車、獅子舞、傘踊り……などなど。そんな中、とりわけ可愛いのが名物・傘踊り。小さい女の子たちも一生懸命花傘を手にしておどります。ちなみに親子そろって参加している人も多く、地元の人がこの祭りを本当に誇りにして参加しているんだなあと感じました。

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約130万人!!

約130万人― これ、天神祭の人出です。京都の祇園祭が約30万人(一晩)といえばそのすごさがわかるでしょうか?

天神祭のクライマックス、船渡御には約100隻ほどの船が大川を行き来し、その光景とだんじりの音、そして花火を楽しみに川のほとりには沢山の方があつまります。川辺には篝火がともり、街には独特な書体の提灯が。(※ちなみにこの提灯はわざと読めないようにかかれているんだとか)川面にゆらゆらと映る火が幽玄な雰囲気をかもし出し、天神祭りは“火と水の祭”と呼ばれるのも納得。

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船渡御は御神霊をのせた御鳳輦奉安船、催太鼓船や地車囃子船など神に仕える講社の供奉船、協賛団体や市民船などの神をお迎えする奉拝船などが行きかい賑やか。
協賛団体の船も趣向をこらしていて、例えば某ラーメンブランドはトレードマークのビックなひよこちゃんが船上に登場!橋をくぐるときたびにペコン、とへこむ様は観客に大うけでした。(※橋が低いため、通過する際にひよこに空気を抜き⇒入れて、を繰り返していたようです) 
Soosakajimekawasu1  ちなみに船渡御では船と船が行きかう際に、「うーちましょ」と大阪締めをかわすのがならわし。船と船だけでなく、船と川辺の人たちとも交わすこともあるんだそうです。 単に「参加する人、みる人」という境目があるというよりは一緒にお祭りを楽しむ祭が天神祭である、と専門家はいいます。

 重要なんです、「板」

 S_10 船団がひんぱん行きかう天神橋、天満橋などの橋の上には、こんな板がたてかけられています。実はこの板、大切な意味があるんです。なんだかわかりますか?
これは「橋の上から、人が神様ののった船をみおろす失礼がないように」するためなんです。花火も人が楽しむためではなく、神様にささげる花火。そして船と船が行きかうときに行われる大阪締めも、神様をのせた御鳳輦奉安船が通過するときだけは沈黙するのがならわしだそうで、お祭りのひとつひとつが「ああ、神事なんだなあ」と感じました。

成長する祭・天神祭

Sretsu2_2  ちなみにこの船渡御、いまでは天神橋のたもとから出発し川上である桜ノ宮方面にいくのですが戦前は川下の西区(現在の千代崎)にあるお旅所にくだっていました。
お旅所のある地域では神様をお迎えするためのお迎え人形が天神祭りが近づくと競うように飾られてお祭り気分を盛り上げたそうです。戦後、工業化に伴う地盤沈下により各所にあった橋げたも沈下。船が川下にいけなくなってしまい現在のように川上にすすむようになったとか。
天神祭は時代の変化にあわせてどんどんとその形をかえてきています。どんどこ船の宮入をはじめ、80年代にはギャルみこしがはじまったり、2000年には天神祭をガイドする「御伽衆」が登場したり、と氏子たちがあの手この手で天神祭を楽しみながらもりあげているのが面白い。千年もの歴史がある由緒正しい神事であると同時に、時代と人のエネルギーを吸収しながら変貌していく天神祭は、大阪の引き継ぐべき宝だなと感じました。

(ブランドコラボセンター 松岡京子)

■ 開催日
 7月24日宵宮、25日本宮
■ アクセス
   大阪天満宮
   大阪市北区天神橋2丁目1番8号
   地下鉄谷町線・堺筋線「南森町」4番出口より徒歩3分

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2009年8月 7日 (金)

火と水の祭~大阪天満宮 天神祭宵宮(7/24)

 天神祭とは、そもそも日本全国各地の天満宮及び天神社で行われる祭のこと。なにも大阪に限ったものではない。しかし、群を抜いて有名なのは、やはり大阪の天神祭だ。生國魂神社の愛染祭、住吉大社の住吉祭と並ぶ大阪三大祭の一つであり、京都の祇園祭、東京の神田祭と並んで日本三大祭にも数えられる。とりわけ壮麗な陸渡御、船渡御の出る本宮の日は、近辺の橋という橋、通りという通りが人で埋め尽くされ、最寄り駅の改札はどこも通行不能なほどごった返す。
 これだけ代表的な祭だが、実際に天神祭に行ったことがないという大阪人は、けっこういるものだ。私もその一人で、初めてナマでこの祭を見たのは、オフィスの窓から船渡御が眺められる今の職場に入った2年前のことである。それでも、大阪人にとって、祭といえば天神祭、実物を見たことがなくても“何となく誇り”なのである。

 大阪には、春祭や秋祭にくらべて、格段に夏祭の数が多い。夏の厳しい大阪でもとりわけ暑い盛りの7月下旬に行われる天神祭は、元来、伝染病予防の祈願と深く結びついている。詳しくは島崎武氏の記事を参照いただきたいが、大阪の夏祭の多さは、疫病除けの祈願と深く結びついている。夏、ひとたび疫病が流行すれば、密集した都市は農村よりはるかに伝染の規模が大きいわけだが、同じく大都市であった京や江戸と比べても多いのは、大阪に「祓いの聖地」という意味合いがあったことに関係するようだ。そして、“水”と密接に結びついてきた大阪は、文字通り穢れを水に流すことで都市の平安を祈願してきたのだ。

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 天神祭に話を戻そう。観衆の目は華やかな渡御列や花火だけに向かいがちだが、祓い、禊ぎという祭の根本に立ち返るならば、鉾流神事こそは天神祭の真髄ともいえよう。これは賑やかな祭というより、しめやかな神事そのもの。宵宮祭の朝、鉾流橋のたもとから小舟を漕ぎ出し、穢れを神鉾に託して大川に流すこの神事は、笛の音を背景音に、不思議な静寂の中で執り行われる。今よりはるかに「水の都」であった大阪の人々の願いが古の日々からよみがえるのを見るよう。ちょっとしたタイムトリップを味わった。

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 さて、この鉾流神事をはじめ、天神祭全体を通して欠かすことのできない重要な役目を担うのが、「神童」である。西天満の町内会が組織する「神鉾講」の中から選ぶのが慣わしで、例年西天満小学校の男児がつとめている。神童に選ばれると、祭が終わるまでの期間、本人とその家族には肉食や殺生の禁止(蚊一匹やっつけてはいけない!)など厳しい制限が課せられるのだそうだ。神童は、鉾流し神事で神職とともに斎船に乗り込み、大川に鉾を流す。本宮祭(25日)の渡御列では、梅の瑞枝を持って神様のお供をする「瑞枝(みずえ)の童子」の役目を果たす。

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 鉾流神事が終わると、一行は天満宮までの道のりを行列していく。この時も神童は注目の的。マスコミ関係者からマイクを向けられ、感想を聞かれたりしている。その隣には、男の子のご両親であろうか、誇らしげに付き添っていた。
 時代絵巻さながらの行列もまた、祭の気分を盛り上げる。地元の人々が古式ゆかしい平安装束を着て暑い中をゾロゾロと歩いていく。普段はGパンにTシャツの中高生ぐらいの男の子たちも多い。境内に着くと、「あっつ~。終わったぁ~」と、とたんに素に戻るのが可愛い。遠方からも多くの観客を集める天神祭だが、こういうシーンに出遭うと、この祭がとりもなおさず地元の人々によって担われ、受け継がれていることを実感する。

地車囃子・催太鼓・どんどこ船宮入り

 天満宮境内では、終日地車囃子(だんじりばやし)が鳴り響いている。しめやかな水辺の神事とはうって変わって、ここは庶民のパワーが炸裂する祭の賑わいそのもの。鉦や太鼓の音が響きわたり、獅子舞や龍踊りが繰り広げられる。獅子舞の獅子に頭を噛んでもらうと、ご利益があるという。龍が爪を立てて天に昇る様子を模した龍踊りは、独特のフォームがどこかユーモラスだ。

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 午後4時頃からは催太鼓の氏地巡行が始まり、それに先立ってどんどこ船が宮入りする。うねるような動きで太鼓の台車やどんどこ船が曳き回される様は迫力満点、祭の高揚をいやがうえにも高める。ここには、熱気あふれる祭の磁場が渦巻いている。祭というのは本質的に、見るものではなく参加するものなのだ、と感じ入る。
 境内の外でも獅子舞や祭囃子が終日、商店街などを練り歩き、あたり一帯が天神祭一色である。

お迎え人形

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  さて、天神祭でぜひ注目してほしいのが、素晴らしきお迎え人形たち。お迎え人形は、船渡御が今とは逆に堂島川下流に向かうルートで進んでいた元禄期に始まり、下流に住む氏子らが船渡御を迎える船の舳先に飾られていた。江戸後期には50体ほどがあったが、戦災などで焼失、16体が現存している(うち14体は大阪府指定有形民俗文化財)。Somukae2
 
 お迎え人形は、能や歌舞伎の題材に基づくことが多く、羽柴秀吉、酒田公時、安倍保名、関羽など和漢の歴史や物語の登場人物が多い。当代屈指の人形師が腕によりをかけて作ることも多かったようで、それぞれの町が競い合うように豪華な人形を掲げたという。かつてこれらの人形は、それぞれの町が所有していたが、現在は大阪天満宮が保管し、祭の期間中、数体が展示されている。2メートルほどもある人形は超大型の文楽人形さながらの精密さ、いずれもその表情やポーズ、衣装など、当時の人々の祭にかける心意気を鮮やかに見せてくれる。ぜひ一見されたし。

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●マメ知識―天神祭と赤
 天神祭を彩るカラフルな色彩の中でも、とりわけ精彩を放つ赤。これは、赤に疱瘡除けの威力があると信じられていたことに由来し、元来、疫病祓いを旨とする天神祭にはよく使われているようです。そういえば、催太鼓の叩き手の被り物やお迎え人形の衣装、関羽の赤い顔など、赤が目立ちます。赤は天神祭のキー・カラー。注目してみてください。

(ブランドコラボセンター 小村みち)

スケジュール 7月24日(宵宮)
   7:45 宵宮祭(本殿)
   8:50 鉾流神事(鉾流橋)
   16:00~催太鼓・獅子舞氏地巡行・どんどこ船宮入
   終日 地車囃子
 

アクセス 地下鉄谷町線・堺筋線「南森町駅」下車→DEF階段を上り④出口を出て  天神橋商店街を右へ、二ツ辻目を左へ50m
        JR東西線「大阪天満宮駅」下車→③出口(東西線アクセスビル)を出て
  天神橋商店街を左へ、二ツ辻目を左へ50m

所在地  〒530-0041 大阪市北区天神橋2丁目1番8号
  Tel : 06-6353-0025  E-mail : info@tenjinsan.com
  URL : http://www.tenjinsan.com/

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2009年8月 6日 (木)

今夏は全国招き猫大集合~坐摩神社・陶器神社 せともの祭り(7/21-23)

大阪せともの祭といえば、江戸時代から、300年以上にわたって受け継がれてきた伝統行事だ。横堀川の舟運に恵まれ、かつてはせともの町と呼ばれた江戸堀、新町にあった約200軒の陶器店が蔵ざらえの市を開いたのがせともの祭の始まりという。21日は坐摩(いかすり)神社宵宮祭。22日が夏季大祭。‘ざま’神社とも呼ばれている。“いかすり”神社ってなかなか読めない?境内と東門の前に陶磁器の露店十数軒が軒をならべ、「3個よりどり1000円」大安売りの垂れ幕、皿や陶器で作られた金ぴか展示人形も遊びこころ満載。

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Naniwagenkibest 境内では「なにわの元気猫」(陶器2000円)がデビュー。成瀬國晴画伯デザインで、愛嬌のある表情の猫クンが発売されている。伝統ある茶碗供養には、お茶碗や湯のみを持参する参拝客が。ヒビがはいったり、破損しても捨てがたい器なのだろう。あいにくの雨で今年は、やや、出足不調。

 今年は、この陶器市が「火防陶器神社のせともの祭」として「大阪市無形民族文化財」に指定され、神社会館ではお祝いのせともの祭の歴史パネル展開催中。過去の、写真展で歴史をふりかえっている。また猫のテーマ展は、盛りだくさんの内容、マイ・キャット・フォトコンテストや、有名猫作家展。招き猫コレクターが全国から集まるという展示会になっている。やや、びっくり。そういえば、MBSのアナウンサー「すみさん猫」も境内に鎮座いたします。陶芸教室や、願掛け皿奉納などもあり、オフィス街の真ん中にある神社には、昼休み中のサラリーマンやOLさんたちも立ち寄っていた。

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  住居守護、旅行安全の神徳でしられる坐摩神社と境内にある陶器神社。夏祭りに境内で催される「大阪せともの祭」は、江戸の延宝年間に始まった「陶器祭」が起源。
 坐摩神社は、神功天皇のころ、渡辺の地(天満橋近くの石町)に奉祀されたのが始まりとされるが、秀吉の大坂城築城により渡辺の地名とともの現在地に。戦災で社殿とともに記録類は焼けたが、「摂津名所図会」に「坐摩陣者西成総社」とあり境内の芝居小屋などの記録がある。

Nekoneko 陶器市の関係者(大江秀雄会長)によると「神社会館の猫コレクションに、愛知県の瀬戸焼の猫祭りから話を聞いて、足をはこぶ参拝客もおられます。作家さんの、貴重な猫たちもみられる機会です」とのこと。陶器祭りのさらなる発展形の予感を感じさせる。

(ブランドコラボチーム 高橋英子)

■2009年スケジュール

7月21日宵宮祭         午後3時~8時                             7月22日坐摩神社夏季大祭  午前11時~午後8時
7月23日陶器神社 例祭     午前10時~午後7時
21・22日は、神楽奉納、おまつり太鼓の奉納
22.23日は、たそがれコンサート

■アクセス

坐摩神社(大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3)地下鉄本町駅15号出口から徒歩4分

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2009年8月 5日 (水)

難波神社氷室祭(7/21-22)

真夏に氷!暑い夏をしのぐには欠かせないアイテムです。しかし、今では手軽に手に入る氷も、昔は貴重品。冷蔵庫のない時代、氷は氷室で天然のものを保存するしかなく、夏場の氷は天皇家や将軍家などごく限られた特権者にしか手に入らない貴重品でした。そんな氷をまつるお祭りが、大阪市内に残っています。

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 大阪の目抜き通り、御堂筋に面した難波神社では、毎年7月21・22日の2日間、氷室祭りが行われます。神社のご祭神である仁徳天皇の御代、ある夏の日に、狩をしていた天皇の兄君が野原で氷室を見つけ、天皇に献上したところ大変喜ばれたという故事に由来するこの祭り、夕刻になると、その名のとおり大きな氷柱が奉納されます。暑~い夏の日に大きな氷の柱は、目にも肌にも涼しいもの。皆さん、狛犬よろしく社殿の両側にドッシリ鎮座する氷の柱に触れては涼を楽しんでおられました。

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 夕方6時ごろになると、巫女さんから参拝者にカチワリ氷が配られます。これを食べると夏負けしないと言い伝えられており、氷などめずらしくない現代でも、みな行列を作って有難そうにいただく様は、祭りならではの光景。もちろん筆者もいただきました。

 さて、祭りといえば太鼓。夜になると、威勢のいい奉納太鼓が祭りを盛上げます。例年、1日目はアマチュアの競演、2日目はプロ集団「倭太鼓 飛龍」の出演ですが、今年は雨のため1日目が中止となり、2日目にまとめて両者のパフォーマンスが行われました。その賑わいは大変なもので、さほど広くない境内裏手の特設ステージ前は、身動きが取れないほどの人だかりです。特に飛龍がまったくの無料で見られるとは、難波神社も太っ腹!という声もあるほど。残念ながら筆者は、飛龍のステージは見ることができませんでしたが、前半のアマチュア出場者の多彩な演奏もなかなかのものでした。子どもから大人まで、老若男女を問わず多彩な出場者が日頃の練習の成果を存分に披露。全国コンテストの出場経験もある中学生の男の子のソロというのもありましたよ!

 お祭り自体はこじんまりしたもので、遠方から多くの人が詰めかけるといった大イベントではありませんが、それだけに地域に密着した祭りならではの、のどかな雰囲気が残ります。夕方になると、ゆかた姿の若いカップルや子ども連れの親御さん、町内会の世話役と思しき人々などが続々と集まってきて、めいめい夏の風情を楽しんでいる様子は、都会の真ん中にいつもと違う時空が流れるエアポケットが開けたよう。車の行き交う御堂筋のまん前ということを忘れてしまいそうでした。

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 ビジネスと商業の中心である御堂筋に面して建つ難波神社は、今から1500年以上も前、河内国丹比柴籬宮かわちのくにたじひのしばがきのみや(現 大阪府松原市)に仁徳天皇をしのんで建てられたのが起源と言われています。その後、大江の坂平野郷(現 大阪市天王寺区)への移転を経て、1538年、つまり大阪城築城の年に、今の場所に移されました。20世紀に入り、御堂筋開通に伴って神社も拡張され、戦前には壮麗な外観を誇ったようですが、1945年3月14日、第2次世界大戦の空襲により鳥居と玉垣を残して全焼、古文書など詳しい歴史を知る手がかりもすべて焼けてしまいました。しかし、戦後、氏子や崇敬者の浄財により再建され、今なお大阪の中心部にしっかりと根を下ろしています。

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(ブランドコラボチーム 小村みち)

■スケジュール  7月21日、22日
          16時頃~ 氷柱の奉納
          18時頃~ カチワリ氷の配布
          19時~  太鼓の競演

■アクセス  地下鉄御堂筋線「心斎橋駅」③出口または「本町駅」⑬出口から徒歩5分

■所在地   〒541-0059 大阪府大阪市中央区博労町4丁目1番3号
   Tel 06-6251-8000 Fax 06-6251-5110
   URL http://www.nanba-jinja.o

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2009年8月 4日 (火)

感田神社 太鼓台祭(7/18-19)

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 南海本線貝塚駅から徒歩5分ほどのところにある感田神社は昨年国登録文化財にも登録された由緒ある神社です。落雷や戦禍で建物の一部が焼失をしていますが、近代の神社施設の建築様式を伝えています。
ここの夏祭りは泉州地区でも最古の布団太鼓といわれ、2人の叩き手を乗せた7台の太鼓台が中北町・堀之町・南町・近木町・大北町・中町・西町の7地区から担ぎ出され、勇壮な姿を競います。

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この祭りの見所は重量約1.5トンもある太鼓台が7地区同時に15分間も担ぎっぱなしで、その力強さを競い合う「練りあい」です。
日に灼けた男達が顔を真っ赤にして激しく太鼓台を揺らし、担ぐ姿は感動に値します。
また、日が落ちると太鼓台いっぱいに提灯が飾られ、先に付けた縄を子どもが
曳きながら、担ぎ唄を歌い市内を練り歩きます。

Taikodaihiki Taikodaiup
ベーラ ベーラ ベラショッショ
石山の秋の月、牡丹に唐獅子竹に虎、虎追うて走るは和藤内、
和藤内お方に知恵貸そか、知恵の中山清閑寺、清閑寺の和尚さん坊さんで、
ぼんさん蛸さんじゅうろべさん、
卵のふわふわ上りんけ、今日は精進あしたにしよ、
ショショマカ ショショマカ ショッショッショ
信濃屋のお半さん、石部のお宿で仮枕
ベーラ ベーラ ベラショッショ

Yorutaiko Taikodainight
泉州と言えばだんじりが全国的にも有名ですが、太鼓台の上にある大きな房が激しく揺れる場景と、肩が一回りも二回りも腫れ上がるほどもなる担ぎ手の力強さは必見の価値がある祭りです。

 

Nasubi 雑記
やはり泉州の祭りだと思ったところに、出店の一つに水茄子やキュウリをそのまま串に刺し売っているお店がありました。結構人気なようで、生ビールとの相性も良さそう。出店から地域が見えた一コマでした。

(ブランドコラボセンター 古谷晃一郎)

■開催日
 毎年7月18・19日
■開催場所 大阪府貝塚市中905
TEL:0724-22-1446

■交通アクセス
南海本線貝塚駅下車西口より難波方面へ徒歩5分

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露天(つゆのてん)神社 夏祭(7/17-18)

  露天神社で目を引くのは、ビルのトンネル(公開空地の参道)から臨む社殿です。
神社南側にある梅新第一生命ビルディングの公開空地が参道になっています。
2000年までは、南側に南北に走る市道を挟んで二つのビルが建っていたのを、建て替えを機に一つのビルにし、一階に公開空地を用し歩行者占用とし、あわせて露天神社の参道に再開発したそうです。ビルの竣工は2007年10月末です。

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(梅新交差点付近からの露天神社)(梅新歩道橋から参道と露天神社を望む)

例大祭(夏祭)2009年7月17・18日
本宮は、今年は7月18日(土)午前10時30分頃より境内で順次神事が行われました。
この祭礼は、夏越しの祓いの意味があるそうです。
12時30分より、宮出の前の奉納がはじまります。
最初は、役太鼓。赤い烏帽子の山車上の6人が息を合わせて太鼓を打ちます。

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宮出には、各々がお神酒を口に含み、山車にも一升瓶からそのままお神酒をかけると当たりには、日本酒の香りが。
掛け声とともに勇壮に宮出します。

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続いて獅子舞、10代後半から小学生ぐらいの氏子達がお囃子に合わせ、軽快に踊ります。
祭りの衣装も茶色の横縞の袴に、五色の帯と華やか。

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続いて、獅子舞。先に刀を持った獅子が東西南北に参ります。

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後ろのステージでは、奉納バリ舞踊などもあります。

S14tsuyu_2 獅子舞全員で参拝するるとともに、宮出します。

最後は、傘踊りが、女性や小学生を中心に笠をくるくる回しながら巡行に続きます。

これより露天神社周辺を一周し、大阪駅前ビル付近からヒルトンプラザ、サンケイビル、マルビル、アクティ大阪などを巡り、宮入予定は午後8時30分ごろです。この間、各町内などでの休憩と接待を受けながら、約8時間に渡る長時間の巡行です。
夏の暑い最中、元気をもらって、無事に夏を越せそうですね。

通称;「お初天神」縁の二人

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境内の一画には、通称お初天神と呼ばれる由縁の二人の銅像が。
元禄16年(1703年)お初・徳兵衛がこの天神の森で心中したことから、これを題材に近松門左衛門が『曽根崎心中』を書き、その後主人公お初の名に因み「お初天神」と親しみを込めて呼ばれるようになったそうです。
その後、有志の寄付によって石碑とブロンズ像がそれぞれ建立されたそうです。
今では、恋愛成就を願う人のお参りも絶えません。

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恋愛成就のお守りや参拝記念のグッズも販売。

参拝された芸能人の署名も。

(ブランドコラボセンター 井上美砂子)

■開催日

 毎年7月第3金・土曜日

■アクセス
大阪府大阪市北区曽根崎2丁目5番4号

・ 大阪市営地下鉄谷町線東梅田駅より徒歩5分
・ 大阪市営地下鉄御堂筋線・阪神電鉄梅田駅・JR東西線北新地駅より徒歩8分
・ 大阪市営地下鉄四ツ橋線西梅田駅・JR大阪駅・阪急梅田駅より徒歩10分

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2009年8月 3日 (月)

高津宮 夏祭(7/17-18)

Photo_92009年7月18日(土)午後3時過ぎの高津宮(こうづぐう)

にぎやかな歓声とともに夏祭りの「黒門みこし」が宮入のため表参道を元気よく駆け上ってきました。
このみこしは、大阪の台所、黒門市場の人々により商売繁盛を願って奉納されるもの。交通事情などの悪化によって一時中断されていたそうですが、地元の人々の熱意で見事に夏祭りの名物として復活を遂げています。

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悪霊を払い、疫病や災害を除去するのが大阪の夏祭り。高津宮では古伝に基づき氷室が神様に供えられます。蒸し暑い境内では、暑気払いのかちわり氷が無料でふるまわれ、邪気を祓う獅子頭のついた笹(こちらは有料)も授与されていました。
境内の売店に目を向けてみると・・・お祭り見物で渇いたのどにはシュワ~ッとさわやか「神社エール」。「氏子ロール」「氏子衆クリーム」など、さすが大阪、駄洒落がきいた遊び心満載のオリジナルスイーツもなかなか魅力的です。

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やがて日が落ち提灯に火が灯りました。
コンコンチキチン・コン・チキチン・・・境内の絵馬殿から聞こえてくるのは、鐘と太鼓のにぎやかな「だんじり囃子」。
そのリズムにあわせて「龍おどり」がはじまると、祭りは最高潮を迎えます。全身を龍のようにくねらせたかと思えば、ピタリと動きが止まる、独特のポーズと踊り手の表情がとても印象的。
境内の特設舞台では、ベリーダンスから空手まで、さまざまな演芸・演武が奉納され、神社周辺の夜店はご近所の家族連れや若者たちで大賑わい、まさに地域に根ざした夏祭りでした。

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Kozu26 神代の昔から陸地だった上町台地には、多くの神社仏閣が集まっています。これは、豊臣秀吉が天下統一の拠点として大坂城を築いた際に、城下町とともに寺町が整備されたことによると言われています。
仁徳天皇を主神と仰ぐ高津宮は、この上町台地の一段高い丘の上にあるため、参拝には表参道、北坂、西坂、相合坂の急な階段を上らなければなりません。昔は大阪の街や港が見渡せたので人気の観光スポットだったそうですが、今では立ち並ぶ高層マンションの中ひっそり残る緑のオアシスといった風情です。

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坂にまつわるお話を見つけました。
まずは相合坂
同時にのぼり始めて、頂点で出会うと相性が良いとされています。
今回は一人で来ましたので、実験は次の機会ということで。

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続いて西坂。
昔は「縁切り坂」と呼ばれていたこともあり、悪縁を絶つ坂として密かに知られているそうです。

・・・必要な事態が生じた場合にはお試しください。

古伝に倣い、夏祭りで邪気を祓い、かちわり氷で暑気を払い、「縁切り坂」で悪縁を絶てば、これから始まる大阪の長くて暑い夏も恐いもの無し!と言えそうです。

<高津宮夏祭りデータ>
・日時
 2009年7月17日(金)宵宮祭 午後3時~
        18日(土)本宮祭 午前10時~
・交通アクセス
 地下鉄谷町線「谷町九丁目」駅下車 2番出口から徒歩5分
 近鉄「上本町」駅下車 徒歩10分

ブランド・コラボチーム 加藤(由)

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ド迫力の宮入!御霊神社 夏例大祭(7/16-17)

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淀屋橋に佇む、御霊神社。 ビジネス街ど真ん中にこのような神社があるなんて!
もともと船場、愛日、中之島、土佐堀、江戸堀、京町堀、靭、阿波堀、阿波座、薩摩堀及び立売堀、長堀の西部、南北堀江の西部等の地域の産土神として信仰の中心となっていたそうです。

今回、うつぼ、江戸堀、西船場の氏子さんたちの宮入をみていてあるものを発見しました。それがコレ!

ビルの前に、鳥居。 

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「鳥居ですが、それが何か?」

的に普通に、あくまで普通に存在しているのです。まるで玄関か、アーチか、はたまたオブジェなのかと思わせるぐらい普通に。 (※神社の南側。panduceというパン屋さん側にあります)

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  聞いてみると、昔の参道にあたる場所なんだだそう。御霊神社は空襲で本殿を消失。昭和32年に再築しした際、敷地が小さくなったとか。その際に(前の神社敷地だった場所に)ビル建設予定のオーナーさんが「折角鳥居があるんだから、残さないと」と鳥居をそのまま保存したんだそうです。今でも氏地巡行の際、太鼓講は必ずここに立ち寄ります。

エネルギー炸裂!太鼓衆

ここの夏祭りの特筆すべきはやはり、枕太鼓!
激しいのですが、その激しいというのがちょっと普通のところとちがうんです・・・。

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靭地区や、江戸堀、西船場の太鼓講がそれぞれ夕方宮入。
そしてちょっとうすぐらくなってきた19時30分ごろ。まず氏地巡行してきた御神輿がかつがれて勢いよくはいってきます。その後にくるのが、みんなのお楽しみの枕太鼓!鳥居から社殿にむかう参道の両脇には、その登場を今か今かと待ち受ける人が列をなしてまっています。

お神輿が宮入し、さあ、次は枕太鼓の宮入です。

と、その瞬間・・・・!!

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枕太鼓が疾走!

勢いよく神殿に向かって「ウワーーーーーッ!」!!!
と駆け抜けたかとおもうと。。。

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「ウワーーーーー」!!
っと、戻ってきた! 超爆走、!

さらに!
急ブレーキでとまったかと思うと
「ウワーーーーー!」とまた駆け抜ける!
そしてまたもどってくる!

いったりきたり、いったりきたり!

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これぞ枕太鼓暴走族(?)男衆のすごいエネルギーが炸裂する光景はド迫力です!

Smakura4_2 ※写真中央の方が舵取り

ちなみに枕太鼓のブレーキ役にと力自慢の若者たちが太鼓の前後控えていて
舵取りポジションには熟練技をもったおじ様がバランスを“足”で器用に
とりながらすすんでいきます。左右にゆらり、ゆらりと・・その小刻みなステップはまるで踊っているかのようです。

参道にいたおばさま方も迫力に見とれながらも
「いやあああ、怪我するわあ、もうかわいそうやからやめたって~」
と黄色い声を出すぐらい、ハラハラドキドキ迫力満点。

10日間、氏子である太鼓講の方々が練習されるというこの行事。ちなみになぜこのようなカタチになったのか、その由来は宮司さんもわからないそうですが宮入、宮出の前のにぎやかし、祭りの盛り上げとして昔から引き継がれているんだそうです。

ちなみに参道で観覧していたマダムたちが一言。
「今年はとりわけ、賑やかやわあ。不況やからやろか」

Sgaikankodomo1_2 そういえば、前出の祭専門家・島崎氏も「昔は景気がいいほど祭りが賑やかになったものだが、最近では景気が悪くなるほど、祭りが盛んになる傾向がある」と話していたのを思い出しました。疫病退散を目的とした夏祭りは、現代では“不景気気運”退散の役目を果たしている気がするのは・・気のせいでしょうか。ビジネスセンターとしての中心地でこのようなお祭りが引き継がれ、ハッピ姿の地域の子供と「こんなお祭りがあったんだ!」とうれしそうにりんご飴を食べているスーツ姿のビジネスマンが混在している光景をみながらなんだかうれしくなりました。

(ブランドコラボセンター 松岡京子)

■2009年度スケジュール

12:30  うつぼ太鼓 出発
16:30~18:30   江戸堀、西船場が宮入

■交通アクセス
大阪市中央区淡路町4-4-3  

地下鉄御堂筋 淀屋橋駅
13番出口より 徒歩5分

地下鉄四ツ橋線 肥後橋駅
6番出口より 徒歩6分

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アメ村流夏祭 御津八幡宮 夏祭(7/14-15)

アメ村ど真ん中の夏祭り 

若者でにぎわうアメリカ村のど真ん中。御堂筋から1筋西側、ビックステップの1ブロック南、で、若者の色鮮やかなアパレルショップや飲食店等、周りの華やかさで見落としてしまいそうなくらい、ひっそりとたたずんでいる。土地柄、どんどんと住人が少なくなり夏祭りもさみしいものになっていたという御津八幡宮。
ここで最近若者たちによってお祭りが再び、盛り上がってきたという。

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神輿の担ぎ手はほぼ女性

氏地巡行を見に行って驚いた。神輿を担いでいるのは若い女性が中心。 ヨイヤサ、ヨイヤサ、と氏地巡行の際にお店の前で神輿を2回ほど、高らかに持ち上げる。百貨店の店員さんや大阪自由学園の生徒さん等、担ぎ手は心斎橋界隈で働く人、学ぶ人。約3時間の炎天下の中元気に氏地巡行する姿がまぶしい。 本当に楽しそうに担ぐ女性達の先頭にたって交通整理にあたる若者がいた。車をとめては深々と腰を90度にまげて礼をする。1台、1台、丁寧に。気持ちがよかった。それが御津八幡宮の夏祭復活をよびかけた堀越大二郎さんだった。

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Horikoshi 祭が賑やかだと、街も元気になる

元々、この町の氏子だった堀越さん。心斎橋で天ぷらやさんを営むとともにアフリカンドラムの演奏家として精力的に活動をしているミュージシャンでもある。そんな彼が夏祭りにかかわりはじめたのは4年前。 「祭りが廃れていくのが、街が廃れていくのと比例してくように見えた」 という。
心斎橋、アメ村周辺は人も店も多いのに、なぜかさみしい雰囲気があったこと、そして神社があることすら知らない人が多かったことがずっと心にひっかかっていたという。「はじめは誰かやってくれたらいいな、と思って待ってたけど、誰もやらなかった。だから仕方ないなと」と笑う。

屋台も、奉納音楽もアメ村流

昔はずらりと軒を並べていた屋台もここ数年はまったくなくなっていた。それじゃさみしいと、アメ村周辺のお店が協力して屋台を出店。焼き鳥をはじめ、ケイジャンチキンやタコスといった多国籍な屋台がずらり。境内には特設のステージがつくられ、音楽奉納。今年はアフリカのジェンベやマリンバ、インドのシタール、そして浪曲の春野恵子さんも登場して盛り上がった。

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Stage Mitsumeru

近所で働いているという60代女性曰く
「3年前からきている。 毎年毎年、賑やかになってきて楽しい!」

呼びかけ人の堀越さんはいう。
「夏祭を始めてから、街であいさつできるひとが増えた。それが嬉しい」
活気を取り戻した御津宮の夏祭りが今後も楽しみだ。

(ブランドコラボチーム  松岡京子)

■2009年度スケジュール        Gal

14日神輿渡御 14:30~17:00 

   飲食屋台16:00~21:00

   民族音楽の夕べ 19:00~

15日飲食屋台16:00~21:00

   地元青年部による夜店(ゲーム)18:00~21:30
  

■アクセス
 中央区西心斎橋2-10-7 (地下鉄心斎橋駅南に300m)

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2009年7月31日 (金)

生国魂神社 いくたま夏まつり(7/11-12)

地下鉄谷町9丁目から徒歩3分の生国魂神社。

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大阪の人は親しみを込めて「いくたまさん」と呼びます。ご祭神は 国土・大地の守護神である生島大神と足神大神、そして「ダイコクさん」とよばれる大物主大神は人間生活万般を守護される神様なんだそうです。 (ちなみにこれを聞いて、すぐに大手ドラッグストアチェーンの名前の由来はここなのかしら?と連想)
ちなみにこの神社その昔上方落語の祖・米澤彦八がこの境内を舞台に上方落語をひろめたことから芸事の神様とも言われており、他に土木建築の神様、金物カマドの神様、女性の守護神、などなどいろんなニーズにこたえてくれそうな神様が勢ぞろい!なんて便利な神社なんだ!と俗っぽいことを考えてしまいました。

さてこちらの夏祭り、陸渡御が有名。氏地の疫病退散、厄除け開運を願うもので最盛期であった明治から昭和初期には千人を超える陸渡御で賑わい、「陸のいくたま」「川の天神」と称されていたほどだったとか。※ちなみにこの写真は会館に飾られています。。

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この陸渡御、今は交通事情等の理由で車で移動します。

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白杖代って何?


Hakujyodai いくたまさんの陸渡御でとりわけ目立つのが「白杖代」。恥ずかしながら読み方すら知らなかったのですが「はくじょうだい」と読むのだとか。これは渡御において神様の杖のかわり「御杖代(みつえしろ)」として使える童をさすそうです。 神様の代理人としての意味合いをもつ白杖代は天神祭の神童と同じぐらい重要な意味をもつんだそうです。

大阪城へ(元宮駐輦)
この陸渡御が目指すは大阪城。ここに元宮があり、御鳳輦をここに鎮座させるべく渡御してきます。いくたまさんは豊臣秀吉の築城のに際して移転する前まではこちらにあったんだとか。ちなみに一ヶ月ぐらい前から大阪城付近に「生国魂神社」という幟がたっていて「なぜ生国魂神社の幟がお城に?」と不思議に思っていたのですが、そういうことだったのか、と納得。

Otabisho Taikodai

獅子舞と枕太鼓

夕方から境内までの参道はあふれんばかりの屋台でにぎわいます。
この生国魂神社では夜に獅子舞おねり、御神輿おねり、そして枕太鼓のおねりがあり
本当に賑やか!3歳くらいの小さな子供たちも参加するかわいらしい獅子舞や枕横倒しになるかとおもうほどの動きと迫力でうちつづける枕太鼓も必見!いくたまの夏祭りといえば枕太鼓!というほど有名で、海外からも招待されるほどだそうですよ。ちなみにこの太鼓は豊臣秀吉からいただいた由緒あるものなんだそうです。

Photo Shishimai

Senaka ちなみに彼らはバチを背中にいれています。スペアのバチをポケットがないから背中にいれているのかしら?と思っていたのですが太鼓をたたく際にあまりに動きが激しいので背中をいためないようガードする目的の「背ブチ」というものだそうです。縄もゴージャスに巻きつけられているのですが、もともとこれは忍者道具だったらしく、縄をつなげて縄梯子にできるように作られているんだとか。胸にはいくたまさんで安全祈願に押してもらったいくたまさんの印。お祭りには昔から引き継がれているいろんな知恵や先人の想いがあるのだと感じた1日でした。

■開催日
毎年7月11日・12日

■開催場所
生国魂神社
天王寺区生玉町13-9

■2009年度スケジュール
7月11日(土)宵宮祭 09時30分
       (宮出) (宮入)
枕太鼓   10:00   16:00
中太鼓   行宮より 17:00
子供太鼓  行宮より  17:00
子供みこし 行宮より  17:00
金銀神輿  13:00     17:30
子供太鼓  13:00   17:30
獅子舞   13:30   18:00
獅子舞おねり      17:00
金銀神輿おねり     17:30
枕太鼓おねり      20:00

7月12日(日)本宮
いくたま夏祭り  10:00斉行
神幸祭      12:30
御渡(おわたり) 13:00
元宮注れん    14:00
行宮祭      15:00
還幸祭      17:00
獅子舞おねり   19:00
金銀神輿おねり 19:30
枕太鼓おねり  20:00

■ アクセス
地下鉄谷町線谷町9丁目 徒歩5分
  

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星田妙見宮 七夕祭(7/7)

 京阪交野線の終点駅、私市(きさいち)駅に降りると、地元物産展や地域の方が催す模擬店などの合間合間に色鮮やかな短冊が下がった笹飾りがいっぱいで駅前は七夕まつり一色でした。駅から天の川に向かい、山に向かってしばらく歩くと星田妙見宮の杜が見えてきます。訪れた日は雨上がりでじっとりとしていたのですが、妙見宮に着いたとたん静謐な空気と変わりました。大鳥居をくぐり境内に入る手前に大きな茅の輪があり、傍らには「茅の輪くぐり」の手引きがおいてありました。

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茅の輪をくぐり越えるときは
『思う事皆つきねとて麻の葉をきりにきりても祓ひつるかも』
『水無月の夏越の祓へする人はちとせの命伸ぶというなり』
『宮川の清き流れにみそぎせば祈れる事の叶わぬはなし』
という歌を唱えながら下の図のように3回茅の輪をくぐり越えます。
こうすることで、人が知らず知らずのうちに犯した罪や過ち、心身の穢を祓います。
詳しくはこちら↓

http://www5f.biglobe.ne.jp/~monarisa/hoshida/mama.htm#tinowa

Akari そこから拝殿までの参道は223段の階段が続くのですが、登った眺望は清々しいものでした。参拝を終えた後には懐かしい味のひやしあめのご接待がありました。そこから、また階段を下っていくと、子ども達が続々と集まって来ています。宮司さんにお話を伺ったところ、毎年恒例のビンゴ大会が始まるそうです。さらにこの日に限り、境内内の集会所が佐々木久裕宮司の個人コレクションである化石や鉱物のミニ博物館が催されていました。
日が落ちてくると七星会による居合切りの奉納、妙見星太鼓の奉納と続きクライマックスの七夕飾りのお焚き上げと続きます。

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行ってみて感じたことは、決して大きい神社ではないのですが、地域と一体になり、祭事が行われているということを強く感じました。その準備のために氏子さん達が細やかな気配りをしている場面がいくつも見受けられました。
妙見さんには年間を通じてお祭りがたくさんあり、子ども達もお祭りが生活の一部になっているとのことを聞き、少しうらやましくなった七夕祭りでした。Wide

(ブランドコラボセンター 古谷晃一郎)

■祭りの名前 
 七夕祭  
■開催日
 毎年7月7日
■開催場所
星田妙見宮
交野市星田9−60−1
電話072−893−1212
■交通アクセス
JR学研都市線 星田駅下車 徒歩40分
京阪交野線 私市駅下車 徒歩45分

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2009年7月30日 (木)

杭全神社 平野郷夏まつり(7/11~7/14)

■神社について
平安の初期、征夷大将軍坂上田村麿の子広野麿が杭全荘を荘園として賜ってこの地に居を構え、その子当直が貞観四年(862年)に氏神としてスサノオノミコトを京都八坂神社から勧請し、祇園社を創建したのが杭全神社のはじまりとされる。現在は、3殿からなり、5柱(スサノオノミコト、イザナミノミコト、ハヤタマオノミコト、コトサカオノミコト、イザナギノミコト)が祭られている。

■夏祭りの由来
スサノオノミコト(牛頭天王)を御祭神とする祇園社の祭りである。神事は当然、創建時からあるが、夏祭りを確認できる最古の記録は、江戸中期宝永二年(1705年)である。地車は、当初、平野郷の各地域を開発した七名家により7基あったが、野堂地域が野堂東、南及び北の3地域に分かれ、現在の9基になった。

■感想
家内と結婚して平野へ移り住み十数年経つが、祭りの4日間のうち、2、3日目の地車の巡行、宮入は毎年見に行っていたが、1、4日目は神輿が何をするのかも知らないでいた。今回の取材により、宮司様のご説明でその謎が解けた。(私だけが知らないのかもしれないが・・・)
つまり、1日目にスサノオノミコトが天上から降りてこられて神輿に乗り(これを神遷という。)、4日目にスサノオノミコトがまた、天上にお帰りになるのである。2、3日目の地車はそれをお祝いする、一種のニギヤカシであるとのこと。つまり、1日目と4日目の神輿が本当の祭りなのである。
とは言っても、我々地元の人間にとって祭りの最大の楽しみは、3日目の「宮入り」である。9基の地車が以下のようなパフォーマンスを見せて、順次杭全神社の鳥居を潜って神社に入る。
・・・・赤い提灯に彩られた地車は、割れるように打ち鳴らされた鉦や太鼓の囃子とともに、杭全神社の鳥居に向かって猛烈な勢いで急発進したかと思うと、鳥居前で急停止し、「モドセー!モドセー!」の掛け声で後退する。これを何回か繰り返した後、最後に鳥居を潜って宮入が完了する。地車の屋根には若者数人が乗っており、そのまま進むと若者の頭が鳥居にぶつかってしまうが、ぶつかる直前に頭をヒョイと下げてかわすそのスリルが堪らない!(実際にぶつかって地車から落ちたのを見たような気がする。)

Modose_2 Ichimachi

また、その間に、いわゆる「マイマイ」という静のパフォーマンスがある。地車を取り囲んだ何十人もの若者(若い女性らが参加している地車もあり、華があって非常にヨイ。)による「マーイマイ!(廻せという意味?)」の掛け声と鉦と太鼓の囃子に乗って、若者が地車を傾けゆっくり回すのであるが、これが非常にカッコイイ!・・・この動と静のパフォーマンスにより、地車巡行の若者らと観客は一体となり、恍惚状態になってしまう。

Maimai Dokka

(PS)
若いごんねぎ様のご説明では、神輿の巡行は、御堂筋パレードに酷似しているらしい。(学生時代に「行列(数学ではない。)」を研究され、当協会にもヒアリングに来られたとのこと)。例えば、神輿巡行では露払いとして先頭に検非違使が立つが、御堂筋パレードでは警察の白バイが先頭に立つ等・・・。今回の取材の後、神道や古事記に興味が沸いてきて、ときどき書店で立ち読みしている。(まだ、買ってはいないが・・・)。

                             (ブランドコラボセンター 藤本忠彦)

◇開催日◇
 毎年7月11日~14日

◇開催場所◇
 杭全神社
 大阪市平野区平野宮町2丁目1番67号

◇2009年度スケジュール
7月11日神輿足洗い、太鼓代足洗い
7月12日地車町内曳航、九町合同曳航(南港通り)
7月13日地車平野郷内、町内曳航・宮入
7月14日太鼓台巡行・神輿お渡り渡御

◇交通アクセス◇
  JR大和路線平野駅から徒歩5分

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2009年7月29日 (水)

機物神社 七夕祭(7/6-7)

七夕伝説のふるさと

 枚方市と交野市のあたりは、空や星、七夕にまつわる伝説やお話が多くのこっています。昔、この地域にわたってきてすみついた渡来人たちが、その頃「秦氏(はたうじ)」とよばれていたそうです。彼らは養蚕や機織の技術をもっており、機織の「はた」そして「秦氏」の「はた」が七夕伝説と結びついたことにより広まりました。地名でも七夕にちなんだ名前が多いのはそのせいなんだそうですよ。ちなみに7月7日には各地で七夕祭りがおこなわれるこの地域。まずは交野市にある機物神社にいってみました。

巨大な七夕飾りが・・

  JR津田駅から歩いて15分くらい。いったいどこに神社があるんだろう。。。
とうだるような暑さの中あるいていると、笹をもった親子連れが“マイオリジナル笹”をもって
ぞろぞろと歩いています。 笹をもった家族が神社に吸い込まれるようにしてはいっていくのですが、鳥居をくぐってびっくり!

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笹の、短冊の洪水、です!

色とりどりの短冊がつるされた5~6mはある巨大な笹が境内にぎっしり立てられていて、その笹の葉にはお願いごとの嵐、嵐、嵐。

お友達がふえますように(かわいいですね)
孫ができますように  (お嫁さん、プレッシャーだなあ)
給料ふえますように  (同感です)

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などなど、みんなのお願いごとをチラ見しつつ、かわいらしいお願いごとをみて微笑んだり
きっと神様が困るんじゃないかという大きなお願いごと大笑いしておりました。
ちなみに、本殿では35本、鳥居周辺を含めると約40本の笹が用意されており。
2枚100円で販売している短冊に願いをこめてくくりつけます。もちろん、家で作った七夕飾りをもってくる方もいらっしゃいます。

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ちなみにこの七夕まつりには浴衣をきた子供たちも多く、家族みんなで短冊をつるす光景自体が最近ではあまり見かけなくなった古きよき日本の一コマのように感じました。

                           (ブランドコラボチーム 松岡京子)
■祭りの名前 
 七夕祭(例祭)
■神社について
 機物神社
■夏祭りの由来
 織姫・天棚機比売(あまのたなばたひめ)大神をおまつりした機物神社では、昭和54年から七夕祭りが復活されました。もともと機物神社の例祭は秋だったそうですが、古文書を確認すると7月7日が例祭だったこと、また氏神様が女性だということをから、昭和54年より7月6日を宵宮、7月7日を例祭として復活したのだそうです。  

■開催日
 毎年7月6日、7日
■開催場所
  機物神社  交野市倉治1-1-7
072-891-4418
■交通アクセス
JR学研都市線
津田駅南へ500m
京阪バス倉治下車

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2009年7月22日 (水)

安倍晴明神社 七夕まつり(7/7)

135_3  天王寺からチンチン電車に乗って南へ約10分。東天下茶屋駅近くの住宅街にひっそりと佇むのは、平安時代の陰陽師・安倍晴明(あべのせいめい)を祀った安倍晴明神社。

 同社の創建は晴明没後2年の1007年(寛弘4年)。現在の社殿は1925年に再建され、境内には彼の誕生地を示す石碑が立っています。
 

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 安倍晴明(921年~1005年)は、天文学や占いなど、平安時代には最先端の呪術・科学であった陰陽道に関して卓越した知識を持ち、貴族たちの厚い信頼を受けていました。
そしてその行跡は伝説化され、数多くの神秘的逸話が、当時の歴史物語や説話集に載せられています。
 近年には映画やテレビドラマ・小説から漫画・アニメ・ゲームにまで登場し、陰陽師・陰陽道ブームを巻き起こしています。

 七夕まつりは、安倍清明千年紀を機に、3年前から始まっています。
 夕方4時になると、安倍晴明公に手芸や文芸の上達をお祈りした後、神前で献歌と献句を行います。地元の人たちが集まり、ささやかに開催されている祭りです。

124_2  見どころは境内に美しく飾り付けられた七夕笹や薬玉(くすだま)飾り。

 今回の取材では、同じく取材に来ていた朝日放送の方に面白いお話を伺いました。

 薬玉はもともと、蓬や菖蒲などの香草、香料、薬草を玉にして錦の袋に入れ、糸や造花で美しく飾ったもので、邪気を祓うために宮中の柱にかけたり、身につけたりしていたそうです。

 薬玉の伝統は幕末まで続いていましたが、東京遷都とともに廃れ、学校の運動会や、道路・トンネルの開通式など、まったく違う目的で使われるようになっています。
 こうして祭りで薬玉が飾られることは京都ではすでになく、大阪ではここの七夕まつりで復活して残されています。

 いま、「失われた宮中の伝統行事」を各地の諸行事から炙り出すというコンセプトのもと、番組を作っています。放映は平成天皇即位の日、11月12日の予定です。

◇開催日◇
 毎年7月7日

◇開催場所◇
 安倍晴明神社
大阪市阿倍野区阿倍野元町5-16 お問い合わせ先 阿倍王子神社 Tel: 06-6622-2565

◇2009年度スケジュール◇ 
 午後4時  七夕祭神事
 午後4時半 講演会「星の子・与謝野晶子と鉄幹の恋物語」(なにわの語りべ 西真理子氏)
 午後5時半 福引抽選会 

◇ 交通アクセス◇
 阪堺電気軌道上町線 東天下茶屋駅から東南へ徒歩3分

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2009年7月 8日 (水)

愛染まつり(6/30~7/2) ~大阪の夏祭はここからはじまる~

「愛染さんじゃ、宝恵籠(ほ・え・かぁ~・ごっ)」。Kagomusume_3


公募で選ばれた愛染娘12名が、宝恵籠にゆられながら上町筋を行列。この囃子と光景をみると大阪の夏のはじまりといわれるほど、地元に愛されているお祭りなのです。

◇開催日◇

  毎年6月30日~7月2日の3日間

◇開催場所◇

愛染堂勝鬘院(しょうまんいん)

夏祭り=神社というのが一般的なのですが、こちらは珍しく“お寺”。元々は西暦593年聖徳太子が四天王寺を建立された際、病に苦しむ人のために薬草を植える施薬院として立てられました。祀られている愛染明王は主に良縁成就・夫婦和合の本尊として有名、かつ愛嬌開運にもご利益があるといわれ、女性や俳優さんが多く参詣にこられるんだそう。

◇愛染祭の由来◇
  
593年に聖徳太子が開いた日本最古の夏祭りといわれ、夏にむけて病気にならないよう 
にと願いを込めた「夏越(なご)しのお祓い」を受け継いだもの。6月30日の宵宮では総本山四天王寺の高徳僧侶が大集結し、厳粛な法要を行うとともに、7月1日が本尊である愛染明王の年に1度の縁日であることから、その2つの要素が合わさり「愛染まつり」となりました。ちなみに愛染まつりといえば連想されるのが「宝恵駕籠(ほえかご)」パレード。これは江戸時代の年号「宝永(ほうえい)」からきていてこの時代に芸妓さんが駕籠にのって愛染さんにおまいりにきていたのを再現したとわれています。

◇実際にいってみました!◇

べっぴんさんじゃ、ほえかご!Musumezenin

 「宝恵駕籠(ほえかご)」には現在、芸妓さんのかわりに公募で選ばれた愛嬌のある娘さんたちが載ってパレードをしています。今年の応募はなんと約400名。選ばれた12名がおそろいの浴衣をきて笑顔を振りまく姿はとてもキュート。 駕籠に乗って上本町から四天王寺経由でお寺にむかうのですが、参道には近所の人やカメラファンがワンサカ。ちなみに、この決まり文句の掛け声(「愛染さんじゃ、ほえかご、べっぴんさんじゃ、ほえかご!」)は「21世紀に残したい大阪の音風景」にも選ばれているほど。大阪にとっては夏の風物詩なのかもしれません。

最高のシャッターチャンス「かご上げ」Kagoage

 

どこをとっても絵になる愛染さんでカメラ小僧たちがねらうは、最後の「かご上げ」。パレードをおえて愛染堂に帰ってきた駕籠は多宝塔前で順々に男衆に持ち上げられグルグル、ユッサユッサ!とまわされます。もちろん中にはいっている愛染娘たちは落とされないように必死になりながら、にこやかに手をふって愛嬌をふりまいてくれます。 ちなみにこの駕籠上げ、いつから始まったのかは定かではないそうですが、昭和10年ごろには既に華として行われていたんだとか。その頃は芸者さんが駕籠に乗っていたため、壇那(スポンサー)が芸者さんを自慢しようと高々と駕籠をあげて見せびらかしたんだそうです。揚屋さん、置屋さん側が「うちのお店にはこんなべっぴんがいますよ!」とばかりにお店の看板芸者さんを宣伝する目的もあったとか。また豪快にゆっさゆっさと振られ、芸者さんが振り落とされそうな感じから「厄を振り落とす」という縁起担ぎになり、現在も「駕籠上げ」が続いているんだそうです。

愛染さんのシンボル花・ 愛染かつら

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この愛染さんで私が気になっていたのが、オレンジ色の花。娘さんの髪にはオレンジ色の花がドーン!と飾られているし、お守りはこのオレンジ色の造花に結わえられて「花守り」として売られています。 聞いてみると、これは「かつらの花」。これは愛染さんのシンボルだそうで、霊木であるかつらの木にノウゼンカツラがからみつくようにして花をさかせていたことから、この2つをあわせて「愛染かつら」と呼ばれるようになったとか。  このお祭りには氏子のおばあちゃん達がこの日のために作ったかつらの造花と、娘さんの笑顔があふれていて、華やかな雰囲気。ちなみに境内には真剣におみくじをひく女子高生たちの姿も多く、夏越の祓いというよりは、年に1度の縁結びの神様との結縁を求める参詣客が多いようにかんじました。
もちろん独身の私は花守りを購入。ご利益があるかどうか。みなさんも来年ぜひ。

◇2009年度スケジュール◇            Jyoshikosei_2

6月30日
13:00  宝恵駕籠パレード出発式
        (近鉄大阪上本町駅)
13:30  出発
上本町から四天王寺経由で
約2時間のパレード

15:30  愛染堂到着 かご上げ
17:00  夏越しの祓えの大法要(30分)

7月1日  ミス愛染娘コンテスト

6月30日~7月2日共通
        愛染明王と大日大勝金剛尊の特別ご開帳
        宝恵(ほえ)かご体験コーナー(写真撮影可能)
        18:00~20:00 演芸大会 など。

◇ 交通アクセス◇

 地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅下車 5番出口から徒歩2分

大阪ブランドセンター  松岡京子

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2009年7月 3日 (金)

大阪の夏祭りの楽しみ方

島崎 武

大阪の祭りといえば、夏祭り

  7月は大阪の夏祭の季節である。34237807_2032953126
7月となればまずは仏寺の祭りである愛染堂の「愛染祭」に始まり,ほぼ連日のごとく市内のどこかで祭囃子が鳴り響き7/11・12には神社の夏祭の筆頭・生国魂神社の「生玉夏祭」、7/24・25には日本三大祭のひとつである大阪天満宮の「天神祭」、そして7月の終わりには住吉大社の「住吉祭」に至り、遂に大阪市内のおびただしい数の夏祭に終止符が打たれるのである。
   大阪市内は本当に夏祭の多い地域である。大阪と並ぶ江戸時代の三都、江戸(東京)・京都は春祭や秋祭が中心で夏祭はそれほど多くない。京都などはほとんど、祇園祭オンリーといった感じもある。京都などは年間で100の祭りをやっていると祭りの多さを豪語するが、大阪は市内には100ほどの神社がある。つまり小規模なものも含めると100ほどの夏祭りがあるということになる。大阪の祭りが夏に集中しているのはやはり都市の祭りであるということだろう。都市は農村に比べればはるかに過密な場所であり、ひとたび伝染病などが流行ればとたんに街全体に広がってしまう。こうした病気などから逃れる手段として盛大に祭りを行い祓い清めたのである。またこれは神道の夏越大祓とも連動した。神道では年の真中の6月の終わりと、年末の大晦日の年2回に半年ごとに人々の罪穢れを祓い清めるために大祓を行なった。

特に6月晦日の夏越大祓は夏であるので夏の伝染病予防の意味合いを強く持つものであった。これは伝染病等が流行りやすい都市の欲求に答えるものでもあり、伝統的に都市たる大阪では夏祭がいっそう盛んに行なわれると言うことができる。祭りの名称にしても坐摩祭が坐摩御祓であるとか、天神祭が天満御祓だったり、住吉祭に至っては単に「おはらい」とだけ称したぐらいで、大阪の夏祭は夏越の祓いと直結したものだった。

大阪は「祓いの聖地」Photo_11

  これに加えて大阪の場合は「祓いの聖地」としての意味合いもあるように思える。都市だから夏祭が多いというのならば、東京や京都や他の都市も夏祭を多く行なうはずであるがそうではない。これは古来より大阪が都市以前に持つ祓いの斎場としての機能を持つことに関係があるように思える。摂津一之宮でもある住吉大社は祓い清めの社であり上記の通り夏祭である住吉祭は単に「おはらい」と呼ばれることすらある。

  著名な天神祭も元は陰陽道の
大将軍神の七夕の祓いの神事であったと言う説もある。京都で疫病神を祓う祭りを行なった後にその疫病神を鎮めた神輿を大阪まで運び大阪湾にに流し祓い清めたという話もある。また伊勢の斎宮は任期が終わり京都に帰還する際には途中回り道をして大阪に立ち寄り禊を行なってから京都に帰ったともいう。すなわちこれは大阪の地が元来祓いの聖地であることを物語るものであり、このことが大阪に夏祭を集中させる遠因となっているのではないかと思える。 祭りというものは地域によって特色があるものだ。大阪の夏祭もやはり特色がある。 またそれが祭り見物のおもしろ味にもつながっていく。そこで、今回は大阪の夏祭の特色と見所について紹介をする。

岸和田だけではない「だんじり」

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  大阪の夏祭は地域を挙げての氏子祭りである場合がほとんどなので、地域からいろいろな出しものが出されるが、大阪でもっともポピュラーなのはやはり「だんじり(地車)」だろう。秋の岸和田だんじり祭の影響もあり有名になっただんじりであるが、だんじりは大阪府内全域に渡って広く分布するものである。

しかし、だんじりといってもその場所地域によって特色がある。大きくは「上だんじり」と「下だんじり」にわかれ、下だんじりは岸和田などの泉州地区分布するもので、有名なやり回しなどを行う。一方の上だんじりは泉州以外の地域に分布するもので「かたせぼう」なる担ぐための棒がついているのが特色で、この棒に肩を入れてだんじりをグルグル回転させる「マイマイ」や「ぶん回し」などを披露する。大阪市内のだんじりも「マイマイ」を行うのでやはりマイマイを行う時がひとつの見所となる。 Photo_13

  また市内のだんじりはお囃子に合わせてだんじりの屋根の上や、だんじり前に架設される舞台などで踊られる「龍踊り」も見所である。龍の昇天するさまを踊りにしたものとも言われ複雑に手首を腕を動かしつつグネグネと実に不思議な動き見せながら踊られる。アップテンポかと思えば超ローテンポになったり止まったりもする。本来の大阪のノリを垣間見せる。  

太鼓台に注目!

  大阪でこのだんじりとともに双璧をなすのが太鼓台であろう。これも大阪府内に広く分布するが、大阪市内では赤い枕のようなものを太鼓の前後にのせた「枕太鼓」と、座布団型の布団を屋根に見たてた「布団太鼓」にわかれる。大阪市内では圧倒的に枕太鼓が多い。この太鼓台はもともとは神社の神輿が出る際に神輿を先導するのが本来の目的だったようだが、今では祭りを賑やかにするために神振行事として他の出しものとともに氏子町内から出されることもあるようだ。 この太鼓台の特色はなんと言ってもひとつの大太鼓を四人ないし六人で同時に叩くことだろう。 Photo_20
この太鼓を打つとき独特の打ちかた構えかたをするのも大阪の太鼓のおもしろ味かと思える。また太鼓台を激しく横転させたり回転させたりと暴れ回るのも見せ場である。

獅子舞と傘踊り

  獅子舞もかなり特色のあるものだ。大阪の獅子舞は獅子の舞いだけでなく「傘踊り」と称するたくさんの踊り子部隊が加わり、天神祭などは数百名もの傘踊りの舞子がつくぐらいである。お囃子に合わせて小さな和傘を左右に器用に持ち替え、クルクル回しながら踊られる。また四つ竹なる小さな竹の棒がかちゃかちゃと打ち鳴らされる。これは祓えの所作であると言う説もあるが、大阪市内の獅子舞傘踊りはそもそもが伊勢大神楽から変形したものとの説もあるので、祓いにちなんだものや呪術的なものが混入していても不思議ではない。 これもやはり元は神輿の行列の構成員であったが、宵宮などは単独で巡行する。神輿のないところでは単独で巡行する。

祭りのシンボル“神輿 Photo_5

  最後に紹介するのは祭りのシンボルともいうべき「神輿」である。祭りといえば神輿というぐらいの全国的に非常にポピュラーすぎる感もあるが、この神輿の練り暴れる様はなかなか勇壮で、地域の独自性もありおもしろいものである。 全国的に神輿は「ワッショイ」という掛け声とリズムで担がれるが、大阪の天神祭などでは「ヨーイ、ヨーイ、ヨイ、ソーリャ」と声をかけながら担がれ、杭全神社の平野郷夏祭などでは「ヨイ、ヨイ、ヨイ、ヨイ、ヨイヤサー」とアップテンポに担がれる。この時に神輿は適度にユラユラと揺らされ神輿に取り付けられた鈴や飾り金具がシャンシャンと鳴り響くが、これは魂振りの所作でもある。これを激しく行うのが「暴れ神輿」となるが、たまに暴れすぎで金具を破損することもあるようだ。
また神輿は他の出し物とは違い神事でもあるので、最後は暴れ神輿の時の勇壮豪快な姿とは打って変わって厳粛に粛々とした空気に変わって神秘的な御霊移しが行われ、祭りの静と動を垣間見せる。

見所はやはり“宮入りPhoto_6

  さてざっと夏祭の見所を紹介したが、一番の見所はやはり宮入である。時間等は各所によって異なるが夕刻~夜が多い。 だんじりは後輪を担ぎ上げ回転して「マイマイ」を行い女の子達は踊り狂い、太鼓台は横転・回転しながら境内をところ狭しと練り暴れ、獅子舞傘踊りは獅子の本殿拝殿等への打ち込みなどの暴れ獅子を勇壮に奉納して、夏祭のトリをとる神輿は暴れ神輿の本領発揮とばかりに境内を練りに練りたおす。 夜祭の雰囲気がクライマックスをよりいっそうに盛り上げるのである。

〔筆者プロフィール〕
島崎 武(しまざき たけし) 
NPO法人日曜大学理事として活動。大学で社会学を専攻し
まちづくり研究をしているうちに地域の文化である“祭”にはまり、独学で研究を始める。
“天神祭を楽しむ秘訣”等の論文を数々の研究系会報誌に寄稿する大阪の祭専門家。

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2009年7月 2日 (木)

大阪・夏祭りサーキット

Photo_6大阪の7月は、祭り月です。

“愛染さんから住吉さんまで”と言われるとおり、6月30日の愛染さんから始まって、25日の天神祭でピークを迎え、7月31日の住吉さんで終わるまでの一ヶ月間、大阪の街では毎日どこかで夏祭りが開かれています。

一般的には、祭りといえば秋、です。作物の収穫の無事を祝う収穫祭は、田畑の稲がほどよく実り、肌に心よい秋風がそよそよと吹く季節に行われます。それが大阪ではなぜ夏なのか、という話ですが・・・

大阪の祭りのルーツは、夏の季節に多い疫病をはらうための「夏越のお祓い」(なごしのおはらい)にあります。過ぎ去った半年間の罪けがれを払い、残り半年を無事すごせるようにと、各地それぞれの社に参詣するのです。
つまり、大阪の夏祭りは、農村での祭りとはまた違った、人が集まり住む都市ならではの生活スタイルを反映したものなのです。

Photo_7茅の輪くぐり、七夕飾り、枕太鼓、龍踊り、お囃子、神輿・・・大阪の夏祭りでは、さまざまなイコンが交錯しています。また金魚すくい、射的、りんご飴といった昔ながらな屋台から、チョコレートフォンデュ、龍鬚飴(ドラゴン・ビアード・キャンディ)といった新興勢力までの様々な露店が立ち並び、非日常的祝祭性を醸し出しています。
そのブリリアントな雰囲気に惹かれて、家族連れ、浴衣を着たカップルから、お祭りウオッチャーまで、多種多彩な人たちが集まってきています。

この時期、大阪では、多い日には一日10ヶ所ものお祭りが集中しています。それぞれの町々で、それぞれの人々の願いを集めた夏祭り。派手なものも、つつましやかに行われている地元の祭りもありますが、そこには大阪のまちのルーツがちりばめられています。

大阪情報最前線では、夏祭りという、大阪が誇るべき資産に触れるべく、日々行われる祭りの現場に足を運び、その雰囲気や醍醐味をレポートしていきます。

みなさんも、大阪の夏祭りをサーキットしてみませんか?

***** 大阪の夏祭り 2009 ***********

6/30~7/2  愛染堂勝鬘院 愛染まつり(天王寺区)
6/30     住吉大社 大祓式(住吉区)
7/6~7/7  機物神社 七夕祭(交野市)
7/7     大阪天満宮 星愛七夕祭(北区)
7/7     安倍晴明神社 七夕祭(阿倍野区)
7/7     瀧安寺 開山忌・大護摩法要(箕面市)
7/7          金剛山 転法輪寺 蓮華大祭(富田林市)
7/7          星田妙見宮 七夕祭(交野市)
7/7~7/8   大津神社 夏越祭(泉大津市)
7/11~12   生国魂神社 いくたま夏祭(天王寺区)
7/11~12   白鳥神社 夏祭  (羽曳野市)
7/11~12   大森神社 灯籠祭(熊取町)
7/11~14   杭全神社 夏祭(平野区)
7/11~12   鵲森宮 夏例祭(中央区)
7/12~14  難波八阪神社 夏祭(中央区)
7/13     五社神社 夏季大祭(池田市)
7/13~14   茨木神社 夏祭(茨木市)
7/14~15   御津宮 夏祭(中央区)
7/15        八坂神社 夏祭(池田市)
7/15~16   玉造稲荷神社 夏祭(中央区)
7/15~16   大江神社 夏祭(天王寺区)
7/15~16   久保神社 夏祭(天王寺区)
7/15~16   五條宮 夏祭(天王寺区)
7/16~17   御霊神社 夏例大祭(中央区)
7/17        伊居太神社 例祭(池田市)
7/17~18   高津宮 例祭(中央区)  → 夏祭レポートはこちら。
7/17~18   東高津宮 夏祭(天王寺区)
7/17~18  瓢箪山稲荷神 夏季大祭(東大阪市)
7/17~18   露天神社 夏祭(北区)
7/17~18  海老江八坂神社 夏祭(福島区)
7/18     呉服神社 夏季例祭(池田市)
7/18     日根神社 ゆ祭(泉佐野市)
7/18~19  河堀稲生神社 夏季大祭(天王寺区)
7/18~19  堀越神社 夏季例大祭(天王寺区)
7/18~19  八王子神社 夏祭(東成区)
7/18~19  玉祖神社 本宮(八尾市)
7/18~19  感田神社 本宮(貝塚市)
7/19~20   野田恵比寿神社 夏祭(福島区)
7/19~20  春日神社 夏祭(泉佐野市)
7/19~20   塚本神社 夏祭(淀川区)
7/21        寺方の提灯踊り(守口市)
7/21~22   難波神社 氷室祭(中央区)
7/21~22  三光神社 夏祭(天王寺区)
7/21~23  坐摩神社 夏祭・大阪せともの祭(中央区)
7/24~25  大阪天満宮 天神祭(北区)
7/24~25  生根神社 だいがく夏祭(西成区)
7/24~25   佐太天神宮 夏祭(守口市)
7/24~25   道明寺天満宮 天神祭(藤井寺市)
7/25~26  渋川神社 逆祭(八尾市)
7/25~26   科長神社 夏祭(南河内郡太子町)
7/27~28  安倍晴明神社、安倍王子神社 夏大祭(阿倍野区)
7/30~8/1 住吉大社 住吉祭(住吉区)
8/1         恩智神社 恩智祭(八尾市)
8/1~8/2   一岡神社 祇園祭(泉南市)
8/3~8/4   石切劔箭神社 夏季大祭(東大阪市)

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