上方文化再生フォーラム~いまでも心中しますか?
大阪・地元と、東京・早稲田大学のコラボレーションが実現!
「上方文化再生」を目的としたフォーラムが5回シリーズで開催されますが、その第1回目、「瀬戸内少年野球団」「梟の城」「スパイ・ゾルゲ」などの名作を生み出した巨匠・篠田正浩監督の講演がTORII HALLで行われました。
タイトルは「いまでも、心中しますか?-近松を語る-」。
<近松浄瑠璃の魅力>
1.現実に似せつつ適度に美化する、これが極意!
「曽根崎心中」で有名な浄瑠璃作家である近松門左衛門。その芸術論を一言で表しているのが「虚実皮膜論」です。嘘と誠の微妙な境目にこそ、芸能の面白さがあり、観客は魅了される・・・つまり、芝居で「家老」を描く時、現実には経理や人事といった実務に追われる家老は、背が低く薄毛で貧相なんだけれども、その姿をそのまま写し取ってもつまらないし、逆に恰幅のいい美男子に仕立て上げても「そんなはずない」としらけてしまうというわけです。いそうでいない人、ありそうでありえない状況、その狭間の表現エリアが芸能の魅力、私たちがドキドキ・ハラハラしてしまう部分でもあるわけです。
2.生きた言葉でかく!
リズミカルな七五調の浄瑠璃は心地よいものですが、装飾的な語句が入ってしまいがちです。それに対し、スキッとした言葉で「情」を伝えていく近松流のスタイル。形式だけにとらわれず、厳格な身分制度があった時代に人々を公平な目でみることができた近松だからこそ、義理と人情に引き裂かれる普通の日常を見事に舞台に描き出し、人々をとりこにしたといえるかもしれません。
3.美しい「道行き」と残酷な「死」の対比
「この世の名残、夜も名残、死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足ずつに消えていく、夢の夢こそあわれなれ。」
「曽根崎心中」でお初・徳兵衛、相思相愛の二人が手に手を取って死出の旅に向かう冒頭部分。言葉の響きが美しいだけでなく、そこに込められた情感が恐いくらいにひしひしと伝わってきます。
これと対照的なのが、実際の心中場面。刀を持ったことがなく武器を扱えない町人が自刃するのは簡単なことではなく、何度も刺しそこなって苦しみながら死んでいく二人の姿が残酷なまでに描かれています。
ここで、篠田監督から一言、「いまでも、心中しますか?」
本日の講演テーマです。会場はどっと笑いにつつまれました。
篠田監督の近松作品の中で「心中天網島」が公開されます。
撮影中のエピソードとして、心中場所の網島までは、実際に歩いてみると心中を思いとどまりたくなるほど遠いこと、京都でロケをした際、偶然、主人公の紙屋治兵衛の墓に出くわし、思わず映画のヒットを願って手を合わせたことなど、楽しくお話いただきました。
・日時 11/17(土) 10:15~ /13:00~
・場所 大阪歴史博物館4階講堂
・料金 前売800円/当日1,000円(「青春残酷物語」、木津川計さんのトークショーも同じチケットを利用できます。)
「上方文化」は再生するのか・・・。
ヨーロッパなど海外では、現在に至るまで、伝統的に権力者や大金持ちのパトロンが資金を出し興行する「非商業演劇」が主流。助成制度もたくさんあります。
対照的に日本では、元禄時代に町人が経済力を持ち、木戸銭で芝居が成立するようになった歴史があり、入場料収入で全てまかなう「商業演劇」が多く、芝居を支えてきたのは観客でした。これにテレビの出現が相俟って、芝居の本質(中味)よりもコマーシャリズムが優先される傾向にあり、舞台芸能にとってはとても厳しい状況となっています。
権力に従属しない自由な民、大阪人。
上方文化を支えていくのは、私たちひとりひとりの想いなのかもしれません。
最後に、竹本義太夫が大阪・道頓堀に立ち上げ、近松を京都から招いて本邦初の同時代的作品を上演した記念すべき「竹本座」。その史跡が、ビルの裏手に追いやられ、かきわけかきわけ探さないと見つからないところにあることを、とてもお嘆きだったことを付け加えます。
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