生國魂神社「いくたま夏祭り」(宵宮七月十一日・本宮十二日)
エッセイスト・帝塚山大学講師 中田紀子
本宮の日に行われる「陸渡御」は、神霊の大阪城へのお里帰りである。もともと生國魂神社は、大阪の起源である上町台地の北端、現在の大阪城を含む一帯の石山碕(いしやまさき)にあったことによるもの。神武天皇東征の折、ここに「大八州(おおやしま)」(日本列島)そのものの御霊(みたま)である生島大社と足島大神を祀ったのが創始と伝わる。
まずは列の先陣を切って『枕太鼓』が打ち鳴らされ、「お渡り」を告げる。続いて道中を祓い清める役目を持つ『子ども獅子舞』の一団が登場、そして、当番の氏子地区から選ばれた童(わらべ)などに導かれ、いよいよ渡御の中心である神霊を乗せた御羽車(おはぐるま)の出陣。その後、威勢良く担ぎ出された『金・銀神輿』が続く。
渡御の一行は天王寺区・中央区の氏子地域を巡行。大阪城の元宮から本町橋の行宮へ赴き、夕刻に境内に還幸(かんこう)する。
昭和初期までの最盛期には、その数、数千名にも及び、境内を出た渡御列の先陣が約四キロ先の元宮に到着したころ、最後尾はまだ境内にいるほど大規模な巡行だったといいい、天神祭りの「川の天神」に対して「陸の生(いく)玉(たま)」と並び称されたほど名高かったという。
無事巡行を終えた御霊を本殿にお移しし、そのことを示す御簾(みす)が下がると、午後七時より、神様に奉納する催しがはじまる。獅子舞と金・銀神輿のお練りに続き、最後の『枕太鼓』で、祭りは頂点に達する。
「セーハージャ(三回繰り返す)エーイ サァ イヨウ」の掛け声とともに、ドーンドンドンと元気付けの太鼓の音が境内に響き渡る。「お示し太鼓」とも言われるこの枕太鼓は、大阪城の地にあった生國魂神社が天王寺区生玉町の現在地に遷る時、豊太閤より奉納されたものと伝えられ、枕太鼓の名は太鼓を打つ願人の背もたれが枕に似ていることによる。
赤い頭巾をかぶり太閤の馬印を図案化した瓢箪模様の法被(はっぴ)に、撚ったサラシを背中で蝶結びにし、腰に予備のバチを挟み込むという独特の太鼓打ちの装い。六人がバチを振り上げ打ち鳴らす。枕太鼓は猛スピードで本殿前から鳥居の外までを行ったり来たり。やがて境内を所狭しと練る枕太鼓は右に左に倒され、はげしく前後に揺さぶられる。足元を枕太鼓に縛り付けながらもなお笑顔で打ち続ける願人。その壮絶な姿を観客はハラハラしながら見守る。
夏祭りは疫病退散を願うお祓いの祭りであり、こうした願いは太鼓を叩く「願人」に託される。午後八時半ごろ、生玉じめで始まった夏祭りは生玉じめで終わる。
打ちましょ チョン チョン
もひとつせ チョン チョン
祝うて三度 チョン チョン チョン
めでたいな チョン チョン
本決まり チョン チョン
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