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2011年8月 8日 (月)

住吉大社「住吉祭」(七月三十日・三十一日 八月一日)

エッセイスト・帝塚山大学講師 中田紀子

Hp_2大阪の庶民が「すみよっさんのまつり」と呼ぶ祭りは、大阪の夏祭りの最後を飾る「住吉祭」のこと。七月三十日から八月一日に渡って繰り広げられる。
本来祭は、私たち人間が自然を迎え入れ、自然と触れ合い、自然を送るという生活習慣に根付くものであった。一年を通じて行われる住吉大社の神事は、自然の流れに沿い、ただひたすら守り続けた姿と言えるだろう。

その昔、群青の海は、住吉大社眼前の白砂の浜に打ち寄せていた。その風景は「白砂(はくしゃ)青松(せいしょう)の住吉模様」と呼ばれた。風光明媚な景観は三百年前の大和川の付け替え以来、沿岸は次第に遠浅に変化し、さらに明治以降の埋め立て事業で、目の届く範囲内に海の痕跡すら望むことはできなくなった。結婚式で歌われてきた謡曲「高砂」にある〝はやすみのえに着きにけり〟のすみのえとは住吉さんのこと。

Hp宵宮祭の七月三十日、神霊が遷えられた神輿を第一本宮の前庭に安置し、渡御祭りにそなえる。三十一日夕刻には夏越祓(なごしのしはらえ)神事があり、つづいて例大祭が斎行される。
境内の五月殿前では、例大祭に奉仕する人々がお祓いを受け、茅(ちがや)を一本手にし「住吉の夏越の祓する人は千年(ちとせ)の齢(よわい)のぶといふなり」と神歌を唱えながら、三か所に設けられた茅の輪をくぐる。この茅でからだをなでることにより、罪や汚れを茅に託して清らかになるという。
この儀式は本祭りの中でも見どころの一つ。この時ばかりは大勢の参詣者が縁日の屋台の店先から離れこの場に集まる。


Hp_3夏越祓神事に参列するのは室町時代のカラフルな上臈の旅姿に扮した艶やかな夏越女(なごしめ)、緋色の稚児、薄桃色の楽人、藍色の金棒と呼ばれる女性たちである。それぞれに定められたきらびやかな装束をまとう。化粧も髪型も役どころに応じ華麗に仕上げられ、隊列をなして歩む姿は美々しく、取り巻く参詣者はただ見入るばかりである。
ここに参列奉仕するのはもともとは遊女であったが、明治以降は住吉新地の芸妓となり、現在は夏越女保存会の奉仕である。奉仕者は神事に先立ち、神館で粉黛(ふんたい)式・戴(たい)盃(はい)式等の儀式に臨み奉仕資格を得る。

テレビなどない時代、新地一番のきれいどころが輿に乗り神社にやってくる一大ページェントだった。新地で遊べない者も、神社にお参りにくることで芸妓さんの顔を拝めるという御利益もあった。神社は肩の凝るような厳粛な面もあるが、遊びの面も表裏一体で合せ持っている例だろう。

翌三十一日は神輿のお渡りである。神輿は大和川の川渡りをするが、この時、川中で担ぎ手は大阪側から堺側の男衆へと入れ替わる。数百名の男衆が川中でひしめきあい、そのさまは壮観である。やがて、堤防を上った神輿は堺衆の手によって宿院・頓宮へ向かう。
頓宮での儀式のあと、ここでも茅の輪をくぐり祓いが修められ、祭は締めくくられる。
「祓の神」の祭りは、祓いにはじまり祓いにおわる。

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