世界初の「青いバラ」を開発
田中良和さん
「青いバラは、先行して販売している青いカーネーションとサイエンス的には原理が同じだが、バラの反響は格別」。サントリーの青いバラ開発のリーダー、R&D企画部・植物科学研究所(大阪府三島町)所長の田中良和理学博士(50)は淡々と話す。世界で初めて開発した青いバラを11月3日から、首都圏や京阪神などの花屋で発売したが、予約が殺到、1本2、3千円のバラは年内予定分6千本がほぼ売り切れとなった。
バラには青い色素を作る遺伝子がないので交配で青いバラは咲かず、ほかの植物の遺伝子を組み込んでやる必要がある。花事業に乗り出していたサントリーは、90年からオーストラリアのバイオベンチャー企業、フロリジン社と共同研究を開始、研究員だった田中さんが派遣された。田中さんの「青いバラ人生」が始まる。
オーストラリアの研究生活はのんびりしていた。「日本なら実験に使う試薬を朝頼めば午後には届けてくれるが、この国では一週間後。息の長い植物の研究にはぴったりかな」
青色の遺伝子を取り出す地味な研究が続く。そして、オーストラリア2年目の91年6月、ペチュニアから青色の色素をつくるための遺伝子を取り出すことに成功する。「このときは興奮した」。ところが、青い遺伝子を入れてもバラは青くならない。研究は94年、帰国後も続く。試行錯誤を続け、04年6月、パンジーから取った青色遺伝子を組み込んで青いバラの開発にようやくこぎつけた。
発売されたバラは「喝采」を意味する「アプローズ」。花言葉は「夢かなう」に決まった。田中さんにとってバラの花とは? 「それを聞かれると困るんですけど…。遺伝子は生物の共通の設計図なので相手が人間、植物、微生物でも私にとっては同じなんです」と冷静な返事。大阪大大学院理学部研究科を卒業、83年に入社して研究一筋。神戸生まれで関西は気に入っているが、青いバラでは苦い思い出があるという。「認可の前に東京、福岡など各地で展示会を開いたが、大阪では『青くない』など厳しい声が特に多かった。でも発売後は大阪のお店にも予約が殺到し、その価値を認めてもらえたことにホッとした」
次の開発は青いキク、新潟県と組んで進めている青いユリ。水をきれいにする植物の研究にも取り組んでいる。
研究開発を進める際に必要な心構えは、「サントリー創業者の鳥井信治郎が残した『やってみなはれ』に尽きるのではないか。ごちゃごちゃ考えずにやることが大事。特にバイオは試行錯誤を繰り返して積み重ねていくしかない」ときっぱり。
(文:七尾隆太 写真:谷川瑠美)
〔参考〕サントリーの研究開発
http://www.suntory.co.jp/company/research/hightech/blue-rose/index.html