大阪城、エッゲンベルク城と友好城郭提携
北川央(ひろし)さん
大阪城天守閣の研究副主幹、北川央さん(48)のもとには古文書や絵画史料などがよく持ち込まれる。「でも、いい物にめぐり合うことはめったにない」。ところが、ケルン大教授(ドイツ)が関西大なにわ・大阪文化遺産学研究センターに持ち込んだ「豊臣期大坂図屏風」の写真を見せられたときは飛び上がった。06年9月のことだった。
屏風はオーストリア第2の都市、グラーツ市のエッゲンベルク城にあるという。慶長元年(1596)から5年間しか存在しなかった廊下橋様式の華麗な極楽橋が描かれており、豊臣秀吉が死去する前後の大坂城と城下町を描いた貴重な史料と分かった。屏風は8枚に分割されて壁にはめ込まれていたため、奇跡的に散逸を免れたという。
それから3年、関大、大阪城、エッゲンベルク城の三者で共同研究が続く。グラーツ市での国際シンポジウムに講師として招かれた去年夏、「大阪城との関係を末長く続けたい」との申し出があった。北川さんはその場で「友好城郭提携」を提案、帰国して平松邦夫大阪市長に相談したら「いい話だ」。北川さんはそれから一人でeメールをやりとりして、詳細を詰めた。4月2日にはフィッシャー大統領から「調停式に出席したい」とのメールが届いた。
10月2日、大阪城で調印式があった。オーストリアからはフィッシャー大統領夫妻らはじめ大臣・政府高官約70人が出席、平松市長や橋下徹大阪府知事らも顔を出した。北川さんは「両市の歴史、文化をお互いに紹介し合う展覧会や、交流を深めたい。グラーツ側から大阪城所蔵の武器・武具や上方の浮世絵などの展示ができないか、すでに申し入れを受けている」
大学、大学院では、古代の寺社や神話を研究したが、いつの間にか、戦国時代研究の第一人者に。研究の柱は、織豊期の政治史、近世の庶民信仰、大阪地域史。研究の一方、歴史、文化イベントの企画、立案に力を注いで来た。例えば、10月に開かれた「大阪ウォーク」もその一つ。「大阪の旧街道をゆく」「水都大阪の歴史を訪ねる」といった大阪城を基点にした10コース余りを企画した。人気のミュージカル「真田幸村~夢・燃ゆる」(OSK日本歌劇団)も北川さんが提案して、企画・監修した。NHKの「その時歴史が動いた」、朝日放送の「歴史街道~ロマンの扉」ではアドバイザー的役割を果たした。「歴史や文化財の面白さを知って興味を持ってもらうことが結局、文化財保存への早道。大阪には貴重な文化遺産が山ほどある。既にあるものに対して、それまでとは少し違った角度から光を当ててやるだけだから、イベントにそれほどカネもかからない」
北川さんは、大坂落城400年に当たる2014・15年に記念イベントを開く構想を温めている。「落城のときこそ、様々な人間ドラマがある。「落城」というと負のイメージがあるが、冬の陣、夏の陣に関するコンテンツを集大成できたら、全国に向けて大阪の歴史や文化を発信できる。大阪がリセットし、再生するきっかけになるのではないか」
(文:七尾隆太 写真:谷川瑠美)