たった一人の女性落語作家
くまざわ あかねさん
上方落語の定席「天満天神繁昌亭」(大阪市北区)の入場者が10月、オープン約3年で50万人を超えた。上方落語家数も200人を上回るほどの落語人気だが、関西在住の落語の専業作家といえば、小佐田定雄氏と、くまざわ・あかねさん(38)=大阪市西区在住=の2人しか聞かない。
くまざわさんは、関西学院大に入学して古典芸能研究部に入部した。歌舞伎、文楽、能、狂言、浪曲などを観劇するのがもっぱらの活動。中でも、子どものころから好きだった落語の会には頻繁に足を運んだ。
卒業後、クラブの大先輩でもあった少佐田氏に師事しながら、演芸コラムなどを書き出した。00年、国立演芸場主催の大衆芸能脚本コンクールに応募した新作落語『お父さんの一番モテた日』が優秀賞を受賞。落語作家の仲間入りをした。02年度には大阪市咲くやこの花賞も受賞した。これまで手がけた落語の台本は、笑福亭三喬演ずる『バーバー高田』、桂都んぼの『雨やどり』など30本近く。落語台本のほか、新聞や雑誌のエッセー、ラジオ出演、講演と活動の舞台が広がっている。
「カンテキをいこす」とは、関西弁で七輪に炭火を起こすという意味。こんな言葉も理解できないようでは、江戸や明治、大正などを舞台にした作品はおぼつかない。思い立ったくまざわさんはだいぶん前の春、1カ月間を大阪・空堀の文化住宅で昭和10年ごろの生活を実体験したことがあった。パソコンは無論、テレビ、冷蔵庫などの家電製品はほとんどない。一日中きもの姿で通し、風呂も銭湯。買い物もコンビニには目もくれず、商店街の対面販売の店先に――。電話も置かなかったので、用事のある知人、友人は直接訪ねて来るしかない。新聞連載の原稿も郵送、といった徹底ぶりだった。終わってから、「マンションと違って隣近所へのあいさつは欠かせないし、商店だと何か言葉を交わさないと買い物ができない。現代人は口数が少なくなったな」と思った。今は「後世の落語家に語り継がれるような作品をめざしたい」と話す。
このころから、外出時には好んできものをきるようになった。昭和10年の体験は、『落語的生活ことはじめ』(平凡社)にまとめた。ほかに『きもの噺』(ポプラ社)などの自著がある。
「落語的生活」をしていて気づくことがある。「かつての大阪の人たちは、文楽、落語、浪曲、地唄舞、上方歌舞伎、新喜劇など様々な伝統文化を見に行って、観客として下支えしていた。そんな時代がもう一度戻ってくるとよいのですが」。(文:七尾隆太 写真:ショーン・ケンジ・マドックス)