大阪ブランド情報局

ストリートダンスの世界大会を主宰

マシーン原田さん

 国内予選8大会を勝ち残った36チーム、それと米・独・仏など海外5カ国の代表、合わせて41チームがストリートダンスのチャンピオンを競う。大阪市港区、大阪市中央体育館で8月22日に開かれる「第16回ジャパン ダンス ディライト」。ざっと1万人のファンらがメインアリーナを埋める見込みだ。このコンテストを主宰するのは、ストリートダンスのイベント企画会社「アドヒップ」(大阪市中央区南久宝寺町)の代表、マシーン原田(本名充啓)さん(44)。94年、好きだったラップの曲名から「ディライト」と名づけてスタート、毎年開催しながら参加者を増やしてきた。今では、チームダンスコンテストとしては世界最大級で、海外にも知られる。「ストリートダンスは米国生まれだが、気がついたら日本の層が圧倒的に厚くなっている。しかも、大阪の愛好者が東京よりも多く、ダンサーの技術も優れている」

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高校時代の83年に、映画「フラッシュダンス」を見たのがストリートダンスとの出会い。ダンスシーンはたった2、3分だったが、背中で回転したりするスピード感あふれるブレイキングが心に焼きついた。今でこそ、ちびっ子たちなどにまで踊りの輪が広がったが、当時はごく一部の者だけ。見よう見まねで練習を始める。天理大体育学部に進学してからも練習に励み、ダンサーとして「ANGEL DUST BREAKERS(エンジェル・ダスト・ブレーカーズ)」のメンバーに。マシーン(機械)のように正確に踊ることから仲間が付けたニックネームがダンサー名になった。しばらくしてチームリーダーになり、ダンサーとして地歩を築いていく。
 92年に「アドヒップ」を設立してストリートダンスのイベント企画などを手がけ始める。翌々年には月刊フリーペーパー「ダンス ディライト」を創刊、編集長を兼務。写真が豊富な64ページで、発行部数6万5000部。「この雑誌に載ることはダンサーらのステータスになっている」。原田さんは、今では踊りは「趣味程度」、ダンスの普及に専心している。
 ジャパンダンスディライトは東京で開いた年もあったが、今後は大阪会場だけにするという。「現役のころから、大阪は東京に比べてダンスの情報、技術面で劣ると言われ悔しい思いをしてきたので、見返したいという気もある」。これからの活動については、「ダンサーが踊りだけで生活できるビジネスシステムを確立したい。専用の『ダンス小屋』も造りたい」と抱負を話す。
 ダンサーとって大切なスニーカーのコレクションが趣味。自宅には約600足あり、「2日続けて同じスニーカーははかない」。

(文:七尾隆太 写真:谷川瑠美)

取材日:2009年7月16日
〔参考〕