大阪ブランド情報局

造船所跡をアートの発信基地に

芝川能一さん

 大阪ベイエリアの工業地帯の一角で、役目を終えてたなざらしになっていた造船所跡が、アート創造の場によみがえろうとしている。
 阪神甲子園球場より一回りも広い名村造船所跡(大阪市住之江区北加賀屋)。古びた4階建ての製図棟、倉庫、満水の二つのドックが往時をしのばせる。ここで07年9月、2日間にわたって4組のアーティストたちがパフォーマンス、ダンス、トークとピアノ演奏、展示実験などを繰り広げた。題して「ナムラ・アート・ミーティング」。04年秋の36時間連続シンポに始まり、3回目の開催となる。
 この土地を所有する千島土地(本社・大阪市)の芝川能一社長(59)が04年春、とあるパーティーで舞台プロデューサー小原啓渡さんと出会っていなかったら、このイベントもなかったに違いない。話題になったナムラを後日訪ねた小原さんが「アートの出会いの場に使わせてほしい」と提案。芝川さんも「面白そうだな、やってみよう」と応じ、アートミーティングに発展した。このイベント期間中は、場所を30年間無償で提供することも約束した。芝川さんは「本業の借地契約では普通30年が一区切りなので」とこともなげだが、関係者の大きな励みになっている。

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 その後、情報発信力を強めようと、室内を真っ黒にしたホール、アトリエ「ブラックチェンバー」を設け、倉庫を活用したスタジオなども合わせて、一帯を「クリエイティブセンター大阪(C.C.O)」と名付けた。今ではライブ、パフォーマンス、展覧会などの活動に使われている。
 芝川さんは慶応大を卒業後、商社マンとなりマドリード駐在などを経験した後、32歳のとき一族が経営する不動産業のしにせ、千島土地に移った。
 仕事のムシだった芝川さんは、この10年余りの間に2度も大病をわずらう。そんな体験を通して、価値観の異なる人たちとの交流でどんなに自分が啓発されるか、芸術が人々をいかに感動させるか、に気づいていく。
 同じ海辺の平林地区の貯木場跡では、海上にフローティングハウスを浮かべ、水際の有効利用を提案、1927年に建設された芝川ビル(大阪市中央区伏見町)の保存活用も乗り出す。
 芸術活動の支援や街づくりに役立ちたい、と新たな出会いを求めてさまざまな集いにもこまめに顔を出す日々が続く。
(文/七尾隆太 写真/竹内 進)

取材日:2007/12/6

[参考]
BLACK CHAMBER http://www.namura.cc/blackchamber/
芝川ビル http://shibakawa-bld.net/