なにわ淀川花火大会の運営に尽力
小嶋淳司さん
夏の大阪の夜空を彩る「なにわ淀川花火大会」は今年で20回を数える。去年の第19回大会では、51万人の観客が淀川河川敷を埋めた。「いやあ、当日は花火を楽しむ余裕はありませんよ」と、大会運営本部長の小嶋淳司・がんこフードサービス会長(72)は話す。野球帽にTシャツ姿で会場内を走り回って接客、安全面にも神経を使った。
花火大会は、16年間続けた地元の「十三どんとこい祭り」の担い手たちを中心に89年から始まった。小嶋さんは、この祭りが始まったころからかかわってきた。今は会社ぐるみで支援している。
行政に頼らず、花火業者に丸投げせず、地域住民の手作り花火大会であることが特徴だ。加勢するボランティアは、後片づけを含めてざっと1500人にのぼる。規模は年ごとに拡大、都市型花火では全国有数に。オール大阪の行事にしたいと、06年にそれまでの「平成淀川花火大会」から「なにわ淀川花火大会」に改称した。「内容をさらに充実させて名実ともに『天神祭』と並ぶ大阪の夏の風物詩に」と小嶋さん。
母の病気で、高校生のころから和歌山の実家の雑貨屋の商売に携わる。同志社大に進学ときには22歳になっていた。「自分で商売しよう」と決めた小嶋さんは卒業後、大阪のすし屋で約1年間修行。63年に、28歳で大阪市淀川区十三で、4坪半の「がんこ寿司」の開業にこぎつけた。
店名は大学時代のニックネームからとった。「高校時代から商売を経験していたので、がんこに見えたのでは」。その後、「料理、サービス、仕事にかける情熱をがんこに守っていこう」との「がんこ宣言」をつくる。看板のはちまき姿の顔は自分の似顔。友人に描いてもらって開業のときから使っている。
「うまくて安く」を原点に経営手腕を発揮、寿司、和食、居酒屋など関西を中心に96店を展開する有力外食チェーンに成長させた。
大阪外食産業協会長、日本フードサービス協会会長などを歴任、06年春からは関西経済同友会代表幹事。「関西で育てられたので、地域に何らかのお返しができれば」とあくまで腰が低い。
(文/七尾隆太 写真/竹内 進 )
[参考]
なにわ淀川花火大会公式ホームページ http://www.yodohanabi.com/