野田恵美須神社
◇神社について◇
大阪湾が今よりもずっと奥深くはいり込んでいた頃、初めて野田の地に住みついた漁民の一団が、自分たちの信仰するエビスの大神を祀ったのが起源である。
戦国時代には、大阪方面に勢力を伸ばそうとした織田信長に対抗した四国の豪族三好氏がここに城を築き、本神社は野田城の守護神として武士たちの信仰の対象となっていたと考えられている。
祭神は、事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、八幡大神(はちまんおおかみ)。
◇夏祭りの由来◇
夏季に起こりやすい流行病を退散させるために行われた。戦前には渡御式、俗に「お渡り」といわれる神事があった。神を奉戴した御鳳輦(ごほうれん)、御神輿(おみこし)を中心として、先導の太鼓以下、行列を整えて新家の御旅所に赴き、祭典を斎行した後、再び行列をして本社に還る、という儀式であった。現在では、太鼓、地車、鯛鉾が氏子区域を巡行する祭りとなっている。
◇感 想◇
野田恵美須神社は、太鼓、地車、鯛鉾がそれぞれ別々のルートを巡行する。
昔、野田村は6つの町に分かれており、うち1町が太鼓を、1町が神輿 を、他の4町が地車を持っていたが、老朽化にともない大正の中頃から廃止された。昭和6年、これを復活しようと、当時の4台に代わって1台の大きな地車を作ったのが現在の地車だそうだ。
地車には、富山県井波出身の彫刻師川原啓秀氏により、大阪夏の陣・冬の陣などの豊臣一代記をテーマにした彫刻が彫られている。屋根周りから柱巻きまで、一面に施された精巧な装飾には驚かされる。まさに動く美術品である。川原氏は、昭和6年~12年にかけて神戸・大阪地域の地車彫刻製作した彫刻師で、後に、日光東照宮薬師堂欄間「鳳凰」なども製作している。
今回、夏祭りをレポートするにあたり、初めて「獅噛(しかみ)」という言葉を学んだ。 「獅噛」とは、「鬼板」とも言われ、地車の屋根に施されている獅子の頭を模様化した彫刻のことである。よく見ると、どの地車にも、丹念に彫られた獅子が屋根にかじりついている。ここの地車に限らず、さまざまな表情の獅子が彫られているので一度見比べてほしい。
この神社でもっとも注目すべきは、関西では唯一ここにしかない鯛鉾である。「えべっさん」と聞いて連想するのは、やはり尾頭付きの鯛。 大きな鯛をかたどった鉾が神社の境内に鎮座しており、周りには、青龍、朱雀、白虎、玄武の四神の旗が飾られていた。
この地域には、国内外からの食材が集まる全国2位の卸売市場、大阪中央卸売市場本場があるほか、野田阪神本通商店街や新橋筋商店街など昔ながらの商店街が多くあり、地域の人々の生活に、商売繁盛祈願は欠かせない。真っ赤な大きな鯛は見るからにめでたく、来年は、巡行しているところを一度見てみたいものである。
◇開 催 日 ◇ 7月19日~20日
◇開催場所◇
神社境内 大阪市福島区玉川4丁目1番1号
巡行地域 大阪市福島区の玉川、野田、吉野、大開、新家
◇2010年度夏祭りスケジュール◇
■7月19日(祝) 宵宮祭 18:00
地車 宮出 11:15 宮入 21:00
太皷 宮出 11:30 宮入 20:10
■7月20日(火) 本宮祭 10:30
鯛鉾 宮出 12:30 宮入 19:00
太皷 宮出 13:00 宮入 20:30
地車 宮出 13:30 宮入 19:50
すずめ踊り奉納 19:20~19:40
◇交通アクセス◇
大阪市営地下鉄千日前線「玉川駅」より徒歩5分
JR大阪環状線「野田駅」より徒歩7分
阪神電車「野田駅」より徒歩10分
京阪電車「中之島駅」より徒歩10分
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